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生きている時間すべてが修行

 人間にとって、生きている時間すべてが修行。

 人生を10年毎に区切ってみると、私も、何度も何度も、人生の区切りの時期を経験してきた事になります。ある程度、年を重ねた人間は、いわゆる”人品骨柄卑しからず”の様でありたいと思いますが、我ながら未熟で、自分に甘く人に厳しい。これでは、いけません。寛容(かんよう)の精神が養われていないと、反省しきりの毎日。

 寛容(かんよう)とは、精神的なゆとりから生まれる心の大きさ。心が寛大で、よく人を受け入れること。過失をとがめだてせず、人を許すこと。なかなか、難しい。

 冷静さを欠いた状態では、寛容にはなれません。

 目を閉じ、心の中を空っぽにして、何も考えない状態。雑念を取り払い、無の心境に近づく努力。寛容であることは、とても難しい事だと思います。

年を重ねる毎に、自らの精神的な成長を、自らに問うてみてる事も、必要かも知れません。