ヤマトの心 @ニ文字熟語

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ヤマトの心 @ニ文字熟語

ブログ「二文字熟語」(https://ameblo.jp/kdoba2716/)の管理人です。漢字の中には、文字を超越した深い意味や思いが込められている事に気付きます。そして、日頃何気なく使っている様々な言葉の中に、脈々と流れているヤマトの心(日本精神)を読み取る事も出来ます。

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自分の幸せは、誰かのお陰

 自分の不幸は誰かのせいなのだ、と考える人は多い。でも、自分の幸せは誰かの御陰(おかげ)である事を忘れてはいけない。  この言葉は、某人気作家の言葉ですが、聴いた瞬間、鳥肌が立つのを感じました。  御陰(おかげ)の御(お)の一文字。これを名詞などに付けると、尊敬や丁寧の気持ちを表わします。また、陰(かげ)は、光によって見える姿や形、目につかないところ。比喩的な意味では、神的なものの威光による恩恵などを指すこともあります。  御陰(おかげ)とは、神仏のみならず、他の人の力添え

    • 和をもって貴しとなす

       “和気(わき)あいあい”という言葉。  なごやかに楽しみ合う様子を意味します。  この和気(わき)という言葉の音(おん)からイメージされたのが、かの聖徳太子が、日本の国としての理念をしめすために制定(西暦604年)した「十七条の憲法」です。何故かって?学生の頃に習った有名な言葉を思い出したからです。  それは、「和をもって貴しとなす」(和+貴)というこの憲法第一条の条文です。今から1400年以上前のこの時代に、国内の人々に対して自己努力による平和の尊さを訴えていたのは驚き

      • 私たち日本人を育む素晴らしい国

         人の歴史は、過去~現在~未来(みらい)という、連続した時間軸の中にあります。 過去から、現在・未来に向かって流れる時間。  未来(みらい)の未(み)とは、まだその時が来ない、まだその事が実現していない等のこと。また、来(らい)は、こちらへ近づく、現在の次に現れる等のこと。すなわち、未来(みらい)とは、現在の次に現れるであろう時空のこと。  過去から未来に向かって流れる時間軸の中に、生まれては消え、消えては生まれる“歴史“に、何か不可思議な存在を感じませんか。時間の経過とと

        • 神話を忘れた民族は、必ず滅びる

           「神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」・・これは、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーの言葉。  キリスト教では、聖書がまさに神話の世界を伝える。  日本では、「古事記」(西暦712年)が、日本神話を記録しています。神々による日本創世の物語に始まり、天照大神(あまてらすおおみかみ)そして高天原神話など、日本国が誕生してきたというお話。  さて、神話(しんわ)ですが、神(しん)は、人間を超越した宗教的な存在。また、話(わ)は、はなしをする、ものがたり、口から

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        自分の幸せは、誰かのお陰

          愛情とは、心から慈しむ心の働き

           私たちの様々な感情は、“喜怒哀楽“の4つの大枠で表現する場合もあれば、仏教で言うところの“七情(しちじょう、喜怒哀楽愛悪欲)“でくくられる場合もあるようです。  愛情(あいじょう)は、こうした感情の一つで、相手に注ぐ愛の気持ちです。愛情は、“七情“で説明する七つの感情のうち、「愛」がそれに当たるようです。愛(あい)とは、いとおしく思う、慈しむ心、大事なものとして慕う心等のこと。情(じょう)は、人の心の働き、心、真心、情け等のこと。  すなわち、愛情(あいじょう)とは、心か

          愛情とは、心から慈しむ心の働き

          適度な運動で、筋肉量を維持しよう!

           寿命(じゅみょう)と言えば、命の限界を意味する言葉です。 日本人の平均寿命は、女性87.09歳、男性81.05歳。これは、直近の厚労省の調査(2022年、令和4年)による数字です。  それに対して、“健康寿命“(=老後と言われる期間、何歳まで元気で過ごせるかと言う年齢)は、女性は75歳、男性は72歳だといいます。あくまで平均値ですが、寿命は延びても、健康寿命は随分短いですね。  さて、寿命(じゅみょう)ですが、寿(じゅ)は、命が長い、長命を祝う等のこと。命(みょう)は、

          適度な運動で、筋肉量を維持しよう!

          順風満帆に進んでいる時には、要注意!

           “順風満帆”という言葉は、順風を帆いっぱいに受けて舟が快く進む様子。転じて、物事が順調に進むこと。  さて、この四文字熟語の前半”順風(じゅんぷう)”についてです。先ず、順(じゅん)の文字です。この文字の意味は、逆らわない、素直である、秩序のある道筋などのこと。また、風(ぷう)は、字の如く”かぜ”を表しますが、他に、実に様々な場面で使われます。  風という文字がついている用例を見てみますと、例えば、強風、風俗、風貌、風景、風刺etc.、様々です。この、風(ふう)の字の用例に

          順風満帆に進んでいる時には、要注意!

          僕の足の電池が、切れちゃった!

           幼児の感性(かんせい)の鋭さから発せられる独特の言葉には、度々、感動させられます。 5歳の孫が、母親である私の娘と千葉県内のマザー牧場に遊びに行った時の話。牧場内を散々歩き回って、孫も相当くたびれたのでしょう。その時、こんな事を言ったそうです。“ママ、僕の足の電池が切れちゃったから、もう歩けないよう~”。  少し大きくなった子供や成人なら、疲れたとか、くたびれた等と言いそうなものですが、電池切れとは!小さな幼児が発する言葉からは、その感性(かんせい)の鋭さや、想像力の逞し

          僕の足の電池が、切れちゃった!

          千里の道も、一歩から!

           最近、ある言葉が浮かんで来ます。それは、千里(せんり)の道も一歩から、です。  いろいろな難題にぶち当たったり、何か事を成し遂げたい時など、どうしたら、その壁を乗り越えられるのか。  千里(せんり)の遠い所に行くにも、第一歩を踏みださなければ、何も始まりません。千里の千(せん)とは、百を10倍して得る数、転じて数や量が多いことを指します。また、里(り)は、“みちのり“という意味。すなわち、千里(せんり)とは、遙か遠い道のりの事になります。  何か事を為すためには、先ず始

          千里の道も、一歩から!

          冬空を眺めつつ感じたこと

           空間(くうかん)という言葉は、私たちの生活の中で、様々な意味を持つと思います。今日は、我が家の庭から眺めた冬空について感じた話。 縁側に座って、冬空を仰ぎ見た時のその空間。それは、私だけの精神世界の中にあると感じ、ある種の感懐を覚えた私です。空間(くうかん)の“空(くう)“とは、大地の上方、そら、何もないこと。ちなみに、仏教では、因縁が造った仮の姿(=実体がないこと)を意味します。“間(かん)“は、モノとモノとの間たり等のこと。  すなわち、空間(くうかん)とは、隔たりが

          冬空を眺めつつ感じたこと

          子供達が、心優しい大人に成長(^。^)/

           “情操(じょうそう)”教育という言葉があります。この意味は、感情や情緒を育み、創造的で個性的な心の働きを豊かにする...そんな教育のことです。  私事ですが、かって、私は子供達の“情操(じょうそう)“教育のために、雑種の犬を飼った事があります。  動物との触れあいを通じて、子供達の心の中に生き物にたいする優しさが生まれることを期待したものです。また、私の家内の老親との同居も決めました。これは、子供達の心の中に、年老いた人への思いやり等優しい心が醸成されることを期待してでした

          子供達が、心優しい大人に成長(^。^)/

          “八百万の神様“と“カミさん“に感謝!

            今年も、残すところ、あと2日。  今年1年間、家族ともども無事に過ごせた事に対して、心から感謝(かんしゃ)したい。誰に対して...って?敢えて言うとすれば、日本という素晴らしい国と、その日本国をご守護頂いている八百万の神様達でしょうか。  さて、感謝(かんしゃ)ですが、感(かん)は、心が動く、物事に触れての心の動きなどの事。また、謝(しゃ)は、有り難く思う心を表現する事。すなわち、感謝(かんしゃ)とは、“有り難く思う素直な心“でしょう。  私の感謝の対象は、八百万の

          “八百万の神様“と“カミさん“に感謝!

          公論は、敵より出ずる!

           ある本を読んでいて、ふと目にとまった言葉、公論(こうろん)。  文脈の中で、“公論は敵より出ずる”(=その意味は、公正な意見は味方よりもむしろ敵方から出てくる事)とありました。公(こう)とは、おおやけ、表向き、偏らないetc.の意味です。論(ろん)は、物事の真理を述べる、善悪を言い立てる、言い争うetc.の意味です。すなわち、公論(こうろん)とは、偏りのない公平な真理を述べること。  最近では、余り目にしない言葉ですが、まさに真理を突いています。例えば、自分がどのように評

          公論は、敵より出ずる!

          ある種のヒラメキを感ずるとき

           何かにチャレンジしようと日々準備を重ねている中で、“機は熟した”と感じ、いよいよ実行に移す、そんな時がありませんか。そういった、“時の巡り合わせ”の事を、機運(きうん)と言います。  機運の“機”って、物事の起きるきっかけ、兆し、大事なところ等のこと。運(うん)は、巡り合わせ、定め、働かせる等のこと。すなわち、機運(きうん)とは、事を行う情勢が十分整い、大きな力が動き始める兆しの事。  確かに、一気呵成に進む絶好のタイミングってあります。攻めどき、とでも言うのでしょうか。

          ある種のヒラメキを感ずるとき

          愛情って、何でしょう?

           唐突ですが、愛情(あいじょう)って何でしょう。  愛(あい)とは、いとおしく思う、慈しむ心、大事なものとして慕う心等のこと。また、情(じょう)は、人の心の働き、心、真心、情け等の意味。すなわち、“愛情“とは、真から慈しむ心の働き、相手に注ぐ愛着の情です。  “愛情“の意味を別のアプローチで探してみたら、仏教で言うところの、七情(しちじょう、喜怒哀楽+愛悪欲)という言葉にぶつかりました。人間の感情は、“喜怒哀楽“に“愛悪欲”を付け加えて説明できるようですが、愛情というは、七

          愛情って、何でしょう?

          学問や知識は“教養”を育む

            私達は、人間としての成長を、どのような形で確認できるのでしょうか。 そんな事を考えさせてくれた著書が、今から28年前に発刊された「ぼくはこんな本を読んできた」(立花隆著、文藝春秋刊)。著者の立花隆氏は、2年前に80歳で鬼籍に入っていますが、旺盛な好奇心から“知の巨人”と言われていた著名なジャーナリストです。本書からは、今更ながら、氏の人間的な魅力、更には、とてつもない読書量が育んだ博学と教養(きょうよう)に驚いたところです。  さて、教養(きょうよう)ですが、教(きょ

          学問や知識は“教養”を育む