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つい、人の分までやってしまう自分に、やらないことを許す

「許す」「許す」「許す」 と、唱えるといいらしいよ。

最近、知人との会話の中で、こんなことを言われました。


ちょうど、
新しく職場のメンバーとなった人の仕事ぶりが、許せなかったので、

「あ、許せということね」と、思いました。

その人のこともだけど、自分自身も。


私、
ついつい、人のことが気になって、
あれもこれも、やってしまいたくなるクセがあって、
ほっとくと、ワーカホリックっぽくなりがち。

あの人大変そうだから、忙しそうだから、
私が代わりにやればいいんだと、
そんなふうに、自分が抱えてしまって、

勝手にたくさん背負い込んだ挙句、
「あーーーー、私だけ大変だ!」
となって、外に向けての怒りが湧いてくる。

その人は、
「やらない人」に見えたんですよね。
「できない」のではなく「やらない」。

私の中に「やらねばならない」「やるべき」という観念があって、
「やらない人」は許せなかった。

その人は、そこに引っかかってくるんだなあって思います。

私の中の、
「やらなきゃ認めてもらえない」
「頑張って当然」
「自分の立場上、やらなきゃいけない」
という観念を手放して、

自分の仕事はそりゃやるけど・・・、

それ以上に、人の分まで必死になって、自分を押し殺してまで、
「やらなくてもいいんだ」という選択を
「許してあげなよ」ってことかもしれない。

あれもこれもやってあげたら、その相手のためにもならないし、
それはもしかして、そんなに急いでやらなくてもいいものかもしれないし、
やらなくても問題ない仕事かもしれない。

そもそも、「やらねば・・」というそのマインドが、
夜の時代の観念、雇われのマインド。


「やらなくてもいいんだよ」

「許して」手放すのも勇気。

だなあ。

きっと、その「やらない人」を見て、
私が学ぶこと、気づかなきゃいけないことが、あるんだろうと思います。

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