なぜ計画を立てることが苦手なのか
最近は「プロジェクトマネジメント」や「祭りの企画推進」に専ら興味があって、調べたり考えたりしている。
その中でどうしても「自分が計画を立てることが苦手」という課題に向き合わないといけないと思い、今日は「計画性」について考えてみる。
なぜ計画を立てるのが苦手なのか?
よくよく考えてみると、なぜ自分は計画を立てることが苦手なんだろう?
一言で言ってしまえば「計画を立てるのが面倒くさいから」
それ以上でもそれ以下でもない気もするけど、もう少し深堀りしてみる。
なぜ「面倒くさい」と感じるのか?
計画を立てることに「面倒くさい」と感じる理由は2つある。
行動計画に落としていく作業に「気づき」が少ない
そもそも「目標を達成したい」という気持ちが薄い
1. 行動計画に落としていく作業に「気づき」が少ない
1つ目の「行動計画に落としていく作業に『気づき』が少ない」という理由を書いた時、思い出したことがある。
先週友人4人と一緒に先月の振り返りをしていた時
ある友人から
「あなたは、何でも『気づき』に繋げるね」
と言われたことを思い出した。
言われたときは当たり前過ぎて何とも感じていなかったけれど、確かに自分は本を読んでいても、観光をしていても、ひとの話を聴いていても、抽象化・法則化して自分の関心ごとに引きつけようとする。その傾向を「気づきに繋げる」と言ったのだろう。
だから2つ目の理由とも重なってくるが、その意味で僕は「気づき至上主義」なのかもしれない。
目標を達成することや、誰かと仲良くなったりすることより、気づきを得ることが自分にとって最優先事項になっている。
2. そもそも「目標を達成したい」という気持ちが薄い
関連して、2つ目の「そもそも『目標を達成したい』という気持ちが薄い」という理由にも触れたい。
計画は何か目標を達成するために、立てられる。
「第一志望の高校に合格するため」とか「体重を50kgにするため」とか「研修サービスを顧客に納品するため」とか、例を挙げたらキリがないが、何かしらの目標を最短距離で達成するために計画を立てる。
だが「計画を立てることが『面倒くさい』と感じる」のは、そもそも「その目標を達成したい」というモチベーション・やる気が低いからだと思っている。
具体的には、
● その目標を達成したら、どうなるのかイメージできていない
● (イメージはできてるが)そのイメージにワクワクしてない
ということが考えられる。
昨日のnoteで言う「『良さ』を体感していない」という話とも近い。
結局、プロジェクトを達成した先の未来にワクワクしていないのだ。
その上でどうしたらいいのか?
計画を立てるのが苦手な理由が見えてきた所で、結論に移りたい。
どうしたら計画を立てられるようになるのだろうか?
ポイントは2つありそうだ。
① 目標を立てる段階・計画を立てる段階を分け、目標を達成した後のイメージを膨らませる
② 気づき至上主義に陥っていることを理解し、計画を進めていくなかで気づきがあると信じて進める
なんか②は精神論な気もするので、①だけ触れておく。
繰り返しになるが、計画は何か目標を達成するために立てる。そして、そもそもその目標を達成する意味を腹落ちしていないと、やる気も何もない。
なので、計画を立てる(Howを詰める)前に「目標を達成した先」をイメージする(Whyを詰める)
水野学さんの『いちばん大切なのに誰も教えてくれない段取りの教科書』にもこんな文章がある。
文章でもイラストでもない。
映画のようにイメージできるまで、画像検索したりしてイメージの解像度を上げることを習慣的に行動にしていきたい。
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