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映画オッペンハイマーに描かれないこと

オッペンハイマー公開:原爆ジャーナリスト、インタビュー

「原爆の父」オッペンハイマーについての映画、「オッペンハイマー」が先週末公開。デモナウで、過去数十年に渡り原爆に関してリポートし、2021には"Atomic Cover-Up"と言うドキュメンタリーを制作したグレッグ・ミッチェルに話を聞いていた。

なおデモクラシーナウは反戦/反核の独立ニュースネットワークで、これは「映画評」では無い事は補足しておく。

抄訳します。

グッドマン:これまでにない力強さの反核映画と賞賛されると同時に、「オッペンハイマーの爆弾はその後数十年もの南西部での核爆弾実験につながりました。近隣の住人は今でもその影響に苦しんでいます。多数は政府の承認も補償もなしに。」との憂慮する科学者連盟の声明も出ています。

ミッチェル:よく出来た映画であることは間違いありません。多くの人に見て欲しい映画です。問題なのは、この映画が描いたことでなく、「描かなかった」ことです。

1。映画のメインイベントであるトリニティー実験に置いて、現場の放射能被害について全く触れていない。放射能雲が移動し、近隣住民や兵士が被曝したこと。そして数十年にわたる核実験のこと。

2。広島・長崎の投下後の現場の様子が全く出てこない。オッペンハイマーがその映像を見てる様子は描かれますが、それが何かは私たちには見えません。

被害者85%が一般市民であったこと、全く語られません。

長崎のことが最後にチョロっと語られる位です。しょうがないか、と言う感じで無理やり脚本に組み込まれたように見えます。

そして最も重要な「スルー」はこの映画は私が「広島ナレティブ」と呼ぶものに全く無批判だと言うことです(広島ナレティブは何かはちょっとあとで語られます)。45年の投下直後から現在までずっと、原爆投下決定に関して、米国一般人を納得させてきたナレティブですね。

要は、この映画は「反核映画である」と同時に(広島・長崎の)2件はその例外として手を付けない、と言うことです。オッペンハイマー個人の葛藤や後悔は素晴らしい俳優キリアン・マーフィーによって体現されますが、オッペンハイマーは生涯最後まで日本への原爆投下には賛成していました。その点でかなりミスリーディングです。映画は45年(の投下)を飛ばしてその後の話になります。

グッドマン:原爆投下後の映像、皮膚が溶けているなど見るに耐えないあの映像はつい数年前まで機密書類でしたよね?

ミッチェル:そうですね。それに関して私はAtomic Cover-upと言う本を書き、2年前にドキュメントリーを作りました。どれだけ守られていたかは私も良く知っていますので、今回の映画でそれが使われていないことは想像出来ました。

オッペンハイマーが「広島ナレティブ」を使って、「原爆は使われなければならない」と会議で言ったシーンは正確でした。あれです、皆さんが知っている、「原爆を使わなければ地上戦になり多くの米軍兵士や日本人が死ぬ」と言う。そのナレティブに関しては映画は全く無批判です。

このナレティブがとても危険だと私が過去40年間訴えてきたのはこう言うことです:「核爆弾は2度と使ってはいけない」と言う教訓は誰もが納得していますよね。酷い事だ、絶対に使用してはならない。正し、あの2件(広島・長崎)は除くーーー例外を作ってしまうのです。

グッドマン:核爆弾は元々対ナチとして開発が始まりましたね。しかしナチスドイツは降伏してしまった。同時にソビエトが頭角を表してきた。

ミッチェル:その通りです。開発に関わった科学者の多くはドイツから逃れてきたユダヤ人です。なので当初はヒットラーを倒すため、と言う名目でした。ドイツは降伏してしまったが、まだ日本とは戦争していた。春から夏に、市街を爆撃していた訳です。なのでターゲットは日本に変わりました。

科学者レオ・ジラードなどが先導に立って大統領トゥルーマンに原爆の不使用(あるいは使用の遅延)を懇願する嘆願書が出回りましたが、それを棄却したのがオッペンハイマーです。日本への上陸作戦は45年11月・12月と設定されていたにも関わらず、早く、使いたかった。トリニティー実験は5月、そして8月に日本への原爆投下です。

ソビエトの側面も重要です。スターリンは8月中旬に戦争参加を承諾していた。それなのに早々と原爆を落としたのです。ソビエト参加と外交努力で、原爆落とさずとも同じ時期に戦争は終わっていたと言う説もあるのです。トゥルーマン自身も日記にソビエト参加で「日本はおしまいだ(Fini Japs)」と書いています。アイゼンハウワーも「原爆は不要であり、日本は降伏直前だった」と言っています。

(Fini Japsで検索すれば日記が公開された当時のメディアが「落さなくても終わってたって知ってたじゃねーか!」と総ツッコミしてる様子が見られます。しかしこの広島ナレティブを擁護する人は今でも米国に沢山います)



2つの市内に落としたのです。計画がそうだったのです(偶然ではない)。オッペンハイマーも承諾していました。それを映画が語らない。重要なポイントです。標的委員会で目的が「可能な最大の殺戮と破壊」であったことを理解していない人などいなかったのです。そしてそれはその通り実行された。

特に被害者にとって、原爆投下は本当に正当化できるのか?広島長崎の原爆投下正当化ナレティブを許したまま、first-strikeポリシー(先に核爆弾使っていい)を持った我が国がこの先本当にそれを使わずにいられるのか?私たちは考えないといけない。


この後インタビューはウェブ限定のパート2に移行します

少し長くなってしまいましたが、そちらも抄訳しましたのでお時間ある方は是非


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