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ネコとの年月が私の歴史 (1)



これは備忘録です。昨今人生いつ終わりが来るかわからないので書いておくことにしました。ただ起きたことを脚色せずに書いただけですので、私を知っている人はまだしも、全く知らない人が読んで面白いものかどうか、、というか読む気になるかどうか。
 以前知人で雑誌の編集長をされていた方から、
「あなたの書くものはお友達として読むには面白いけど。。。」
と言われたことがあるので(;'∀')、今回は最初からひとことお断りすることにしました。
 誰でも1冊は本を書けると思います。私の場合はネコとの日々が一番大きい部分を自分の中で占めます。傍らにどこで何をやっていようと猫の存在が時計の代わりとなって年表となりました。現在まで14匹のネコとどのように出会って、引き取って、育ててきたかの記録です。


Chapter 1
ネコ#1 : ピートと過ごした日々

それは私の人生の中で最も幸せな日々だった。後になってよくわかる。あんなにただ楽しくて幸せな日々はそうない。生活が充実していたとか、何かに成功していたとかは全くなく、いつものように迷ったり落ち込んだりしていた。私は大抵の事をやりながら、楽しむより落ち込む人間のようだ。でも、ピートがいた。毎日、私達は一緒だった。

地下鉄の駅を下りると、私のアパートまで歩いて25分くらいと結構な距離なのだが、走って帰った。一刻も早くピートに会うために。そんな気持ちは、どんな人間に対しても湧いたことはない。いや、誰かを心底好きになることはあっても、その人に会うために毎日駅から走って帰ったという記憶はやはり一度もない。ネコは特別な生き物だ。人間を変えてしまう。

それ以前は夜が更けるまで街中で遊んだ後、郊外の家まで帰るには交通が不便で、よく友人の所に泊まった。でもピートが来てからは必ず帰った。友人は、
「一泊ぐらいしても猫ちゃんは平気なんだけどね。」
と言った。そもそも彼女がネコを飼っていたおかげで、ネコ初心者の私はフードからネコ砂から色々と教えてもらえたのだが、今はその彼女とどこかへ出かける時間も惜しいくらい、ずっとピートといたかった。仕事が辞められるものなら辞めていた。寝なくても済むものなら寝ないでいただろう。私に与えられた時間の全てを使ってピートを眺めていたかった。

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ピートをアダプトしたのは、ニューヨークにあるASPCAという動物保護団体のNPOだ。何週間も考えてそこに出向いたその日、子猫はそれほど多くいなかった。
 シェルターの中を一通り案内され、ネコ達を物色させてもらった後、最初に目が合った白っぽいネコがいいな、と思った。そこがお店だったら店頭と言えるような一等地にケージに入って置かれていた。けれどそのコは私の予想していた子猫像よりもかなり大きかった。

「また来週来てもいいわよ。」
とボランティアの人は私に言った。どっちみち私は一人で住んでいてフルタイムで働いていたため、子猫といっても生後3か月以上のネコしかアダプトできないことをその日に知った。子猫が許可されるのは、誰かが一人でも常に家にいる家庭に限られていた。

ネコについては何ひとつ知らなかった。ただ子猫がいいだろうと、勝手に決めていたのだ。さらに言えば本当は子犬が欲しかったのだが、アパートに一日中閉じ込めておくのが忍びなく、「ならネコで」くらいの調子だった。小さな一匹のネコがこんなにも私を変えるとは、想像だにしていなかった。

アダプトする条件としては、その場で二人の人間に身元を保証してもらう必要があった。それを知らなかったため、誰にもそんな話をしておらず、自分の電話などもない時代で、友人の電話番号を持っていたらラッキーだった。一人の友人は留守で、もう一人たまたま電話番号を持っていたけれどあまり親しくない人がいた。ただ彼がネコを飼っていることを思い出して、
「この人に電話してみて下さい。」
と頼んだ。その場でシェルターの係の人が直接レフェレンスとなり得る人に電話をして、私のことをいろいろと聞くのだ。時には又売りしたり虐待が目的で動物をもらいに来る人間がいるということを何年も後に知った。

彼が何と言ったかは私には聞こえていないので知らないが、いいように言ってくれたに違いない。私は晴れてレフェレンスに合格し、その日ネコを連れて帰れるステージまで辿り着いた。その他には仕事がちゃんとあるかなどを聞かれたと思う。収入も聞かれたかもしれない。ゴハンを買えそうになく、医療費が出せそうにない人には渡せないということだろう。そして時期がきたら不妊手術をすることに同意宣誓し、その場で60ドル払った。それは不妊手術に宛てる費用でアダプトした日に先払いするようになっていた。また子猫用のワクチンも一回分含まれていた。

私はさんざん考えてその日にネコをもらって帰ると決めていたため、どうしてもその日に欲しかった。もうフードやネコ砂やら、家は完備してある。そうして、イノセントに大きな目で私を見上げている白っぽいネコをもらうことに決めた。傍にいた係の人は、彼は1週間前に来たばかりで、私がもらわなければ長くそこにはいないだろうと言った。

ASPCAは辺鄙な所にあり、地下鉄の駅からは遠すぎた。もっとも動物愛護施設がニューヨークシティの一等地に建つわけもないが。タクシーを捕まえ、おそらく初めての車のライドをピートは体験する。子猫をもらうつもりだったので、友人に言われたとおりに靴箱を持って行くと、全く役立たず。シェルターで入れてくれた箱をガリガリ内側から引っ掻き、出してくれと訴える。私はどうしていいかわからず、顔だけ出して外を見せてあげようとすると、顔が出れば体も出れるということをその時知った。すごい力で箱から這い出したピートはタクシーの中を探検してしまった。そして運転手のシートの真下に落ち着いてしまった。運転手が肝要な人で助かった。私の経験では滅多にいない。

私のさびれたアパートはその日からディズニーランドになった。ピートは部屋の中の物を何から何まで楽しんでくれたのだ。ネコ用のおもちゃを時折買ったが、実はそんなものはいらなかった。部屋の中にある全てが彼にとって遊園地の乗り物となり、おもちゃとなった。私は距離を置きながら彼の様子をちらちら伺っていると、すぐにどこかへ姿を消してしまい見つからない。

「ピートちゃん、どこですか~?」
と声をかけながら探すが、どこにもいない。そういう時はいつも私の真後ろにいた。いつ私の背後に回ったのかさっぱりわからない。忍者か。

さびれてはいたが、シティのアパートに比べると広く、3部屋あったことが幸いし、ピートと私にはちょうど良いサイズとなった。あらゆるフレーバーのキャットフードを買い、ピートは何でも食べ、おトイレもひとつも問題なく、何一つ問題がなかった。毎日が楽しくて楽しくて楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
 日本にいる妹と国際電話をして、たぶん2時間ほどピートについてまくしたてた。今思うと彼女はよく聞いてくれたと思う。子供の頃犬を飼っていたがネコについては何も知らなかったので、二人の驚きは同レベルだった。とにかくピートについてはいくら話してもきりがなかった。今思い出すだけでも幸せが蘇るほどだ。こんなこと、他にあるか?

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生後4か月だったピートの日課となっていた遊びは、かくれんぼだった。ソファの後ろなどの狭い場所に頭を突っ込み、全身隠れた気になっているピートは、私が
「あれ~?ピーちゃん、どこ行ったんだろう?」
と独り言のようにつぶやき、アパート中を歩き回るのを陰から見るのが楽しくて仕方ないのだ。人間の3-4歳児と同じである。そして一つの箇所から次の隠れ場に素早く移動するのだが、私には見えていないと信じている。私はアパートを行ったり来たり、彼は次から次へとスポットを移動しては隠れ、成功しているものと疑っていない。その遊びをどのくらいの間か、毎日毎日続けた。時々私が忘れていると、私が探し始めるまで絶対に出て来ない。ネコはとても辛抱強いのだ。

もう一つの彼の好きなゲームは、夜私がベッドに入ると鈴が入ったプラスティックやフェルトでできたネコ用のおもちゃのボールを、枕元に持って来ることだった。私はそれをあちこちの方向へ投げる。するとダッシュして取りに行き、口にくわえてまた枕元に持って来るのだ。こんな犬のようなことをネコがするとは知らなかった。その後アダプトした13匹のネコの中にも、人間相手にこのようなボール遊びをするものはいなかった。何回もボールを取りに行き、ハーハー息を切らせながらやるのだ。時にはこっちも疲れて、付き合えきれない時もある。またベッドに入ってしばらく本を読んでいて、その後ライトを消して寝ようとすると、そのタイミングでボールを枕元にそっと置くこともあった。本を読み終わるのを待っててくれていたのだろうか。。

そののち私は面白いバリエーションを考えた。なぜだか忘れたが、ベッドの脇に使っていないマットレスが立て掛けてあり、ボールをそのマットレスと壁の間にわざと落とすと、大喜びでその谷間に勢いよくダイブインする。そして絶壁を這い上り、ハーハー言いながらちゃんとボールを返し、目を輝かせまたやってくれと来る。これを数回やるとさすがに疲れ切るようで、こちらもやっと寝つけたものだ。

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今考えると、その後のネコはみんな仲間がいたのだ。先住ネコや犬、兄弟など、彼ら同士で遊んだのだが、私とピートは完全にお互いだけしかいなかった。この人間とネコは何をするのも一緒だった。またその後のネコは殆どが外にアクセスできて、外でワクワクし、家は安心して寝る場所だったのだと思う。家の中での運動会は子猫の時以外はあまり見られなかった。

ピートは後には犬ネコうじゃうじゃの環境を強いられてしまったが、私の言い分は、
「ピーちゃんと同じように、家が必要だった子たちを助けてるんだよ。」
であって、ピートはひと際インデペンデントではあったが、どの犬ともネコとも問題はなく共存してくれた。実際14匹のレスキューしたネコのうち12匹は行く場のなかったネコ達で、自分からアダプトしたのはピートとそのすぐ次の弟のアンヘルだけだった。(もちろん本当の弟ではなく、私がピートに弟をと思い、探し出してきたのがアンヘル)

私はその後は子犬や子猫の忙しい母になったり、毎日点呼が必要なほどの犬猫のさしずめシェルターの管理人となっていった。本当のシェルターと違うところは、どこからもサポートはないことだけだった。そしてピートは年長のお兄ちゃんとなっていき、一匹で平和な場所を見つけたり一匹で行動することが多い、我が道を行くタイプのネコとなっていった。ピートはそれを好んだかはわからない。私達の人生は別のフェイズへ入っていったのだった。ピートはいつまでも一番特別な存在であり、私にとっておそらくこの世で一番愛情を注いだ対象だと思う。

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ピートがガンにやられてこの世を去るまでの8年間を私達は一緒に生きた。彼はアメリカで最も美しい国立公園のひとつに埋められている。彼の魂は素晴らしいパノラマビューを臨め、有料の国立公園のため、どこかの金持ちや企業がやってきて山を切り崩したり、好きなように使ってしまう確率は少ない。彼はまた、自分の体を使って私達にペットフードの恐ろしさを教え、ホリスティックな健康管理の世界に導いてくれた。私は犬と猫の健康管理においては、まず一番に様子を見て(First, do no harm) 、その次にはホメオパシーを使うことが多い。20年以上使ってきている。その後の我が家の13匹のネコと3匹の犬でガンにかかったものはいない。





もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます