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百年文庫68 白

三篇ともガツンと来る、骨太な作品。角度や状況は違えど、それぞれ作者が己を深淵の淵に立って眺めるような切実な経験を元にして書いているような気がする作品たち。何度も読み返したいかと言われるとちょっと重いので難しいけど、手元に長く置いておきたい三篇。



冬の蝿/梶井基次郎

朝遅く、宿の窓辺に悶々と降り注ぐ光の中で、冬の蝿は手を摩りあわせ、弱よわしく絡み合う。-透明感溢れる文章で綴られた美しい療養地の情景が、冷酷な真理を際立たせる。

梶井基次郎の描写力はどこからくるのだろう、と思う。
一行一行読んでいくと、とりわけ印象的な言葉遣いや表現があるわけでもないのに、作品になったときには異常にあざやかに眼前に迫る。

その疑問が、この「冬の蠅」を読むと少し溶けるような気がする。
ものすごく細かいタッチのデッサン、あるいは物まね芸人がちょっとしたしぐさで人を笑わせるさま、そういうものと同じように、細かすぎるほどの観察眼と、それをそのまま全部描写する、という選択からくる読み心地なのかもしれない。

蠅に頼りない我が身を投影する、というとありがちそうに見えるけれど、結末の不穏さは想定外かつ重く心に残り、こういうところが長く読み継がれる作家のゆえんだなあと思う。蠅たちは何日か家を空けている間に寒さによって全滅してしまうのだ。

私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私は其奴の幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷ける空想だった。そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。

この結びのインパクト。感受性とはこういうものなんだなあ、と思う。

春の絵巻/中谷孝雄

「初めて春に逢ったような気がする」そううそぶいた級友の岡村は自死を遂げた。-若者の胸に去来する青春の光と陰を描いた。

ときどき、身近な人達の人生についてわたしはほとんど何も知らないのではないか、という漠然とした不安に囚われることがある。前の週に会った時には人目をはばからずにキスしていたようなカップルが急に別れたり、普通に働いているように見えた友人がSNSで転職を知らせていたり。
そんな衝撃を見事に掬い取った作品。

自分が恋人を得んと四苦八苦しているすぐ隣で、級友が自殺している。しかも、その直前に常ならぬ様子の彼と会話している。
そんな生と死の対比を描きながら、最終的には岡村のことを忘れ去ったかのように締めていくのがいい。主人公は岡村のことを表には出さないだろうけど、人生の節目でたびたび影のように思い出していくのだろうな、などと思う。


いのちの初夜/北條民雄

「癩病」を患い虚無に浸る尾田は同病の義眼の男に出会い、その死生観を大きく揺さぶられる。

なんかすごいものを読んでしまった、と思った。
尾田の独白は急で、読者は置いて行かれる。なんでそんなに思い詰めているんだ、とちょっと面食らう。そして話の実態がわかってくるにつれて、その救いのなさに一緒に追い詰められる。

尾田は、ぬるぬると全身にまつわりついて来る生命を感じるのであった。逃れようとしても逃れられない、それは、鳥黐のようなねばり強さであった。

この一文が特にすごい。このあとの描写にもつながっていくけれど、生命とは漠然とした概念ではなく、質量と実体を持ったものだ、という哲学からくる作品の生々しさに圧倒される。思わず作者について調べて、自身のハンセン病の経験に基づいて、という記述を読んで逆に安心した。これだけのものが現実に根差さずに書かれていたら逆に怖い。

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