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『自立する』ってどういうことだろう?

『ちゃんと自立してよ!』

多かれ少なかれ、上と似たようなことを言った/言われた経験はないだろうか?それはもしかしたら親子関係であったり、恋人関係であったり、はたまた職場での人間関係の中で発せられた言葉や想いかもしれない。

でも『自立する』って一口に言っても、ある人は単に「しっかりしてよ!」という意味で言ってるのかもしれないし、職場関係の中でなら「自分で考えて行動してよ!」という意味かもしれないよね。

そんな色々な意味を持つ言葉かもしれないけれど、今は一人の親となった僕なりに『自立』というものを考えてみた。

■ 「親離れ」って何だろう

まずは一番身近な例から考えてみよう。そう、親子関係の中での「自立」つまり「親離れ」って何だ?ということだ。

誰しも年齢を重ねてく中で、社会的な立場は子供から大人に変わっていく。20歳にならないとタバコ・お酒は嗜めないし、何か悪いことをした時の社会的責任も変わってくるよね。でも、親にとってすればある意味、子供はずっと子供のまま。血縁関係で言えば、お互いずっと不変の存在だ。

けれど、そうした中でも子供が巣立つ瞬間、つまり関係性が変わる瞬間がある。今はスヤスヤ寝ている天使のような娘も、いつか生涯の伴侶を見つけて離れていく時が来るかもしれない。(そんなこと想像したら泣けちゃう!)

ここでは、どんなことが起きているのだろう?

■ 親と子をつなぐものは何だろう

言わずもがなだけど、人間誰しも赤ちゃんとして生まれ、最初は周りの大人に助けられないと生きていきない。そして、たとえ自分の意見を言えるような年頃になっても、金銭的援助や教育を受ける必要があるだろう。

つまり子供時代というのは、一方的に親に守られる存在の時期ということかもしれないよね。(逆に言えば、親の義務は子供の安全を守ること、とも言えるかも。)

ここで一つ考えてみてほしいことは、「親ばなれ」というのは単純に実家を出たとか、就職して金銭面で頼らなくなる、ということだけではないのでは?ということだ。

僕自身、学生時代に一人暮らしを始めたり、就職で大阪から東京に来たりしたけれど「親離れ出来てきたかな?」と思った瞬間は、もっと別のタイミングだった。そう、それはまさに家族が一番大変だった時だ。

■ 自分が体験した「親離れ」の瞬間

僕が大学生時代だった時、家族構成は公務員で共働きの父母、妹一人、そして認知症で寝たきりの祖母というものだった。

祖母はデイケアサービスも受けていたが、寝たきりの祖母のお世話をするのは、なかなか骨が折れるもの。下のお世話もしないといけないし、ご飯を食べる補助をしたり、寝返りを打たせてあげたり、なかなかやることも多い。そうすると、最初は両親が疲弊してくるのだが、彼らも日中は働いている身。疲れから精神的に不安定になっちう時もあったんだ。そんな中、僕と妹もこれはヤバイ!と思い、家族一致団結で頑張った時期があった。

そんな中、ふと気付いたのは「あぁ、『親』という存在は自分を守ってくれるスゴイ人とばっかり思ってたけど、実は普通の人間なんだな。むしろ、自分が守らなければならない時もあるんだな。」ということだったんだ。

これって言ってみれば、親は「自分に何かしてくれる存在」ではなく、「自分が何かしなければならない存在」として受け止めることができたっていうことだと思う。今振り返っても、この経験が『大人への第一歩』だったんじゃないかと考えるんだ。

■ 「自立」のヒントは社会との関わりの中にある

実は親子関係以外でも、この「誰かのために何かをしてあげる」という気持ちが、「自立する」ということにとても関係があるような気がしている。

むかーしむかしの中国の偉い人が「私は十五歳で学問の道を志し、三十歳で自立して・・・」という人生を振り返っての言葉を残しているんだけど、この「三十歳で自立して」というのは、もしかしたら勉強を重ねてきた結果、世の中に還元する方法が見つかった!ということかも知れないね。

「誰も私を見てくれない・・・」と悩んでいる人はきっとこの世の中多いと思う。でも、そんな時は「私を見て見て!」ということを考えるよりも、「誰かのために何かしてあげる」ってことが実は一番の特効薬じゃないかな。

きっと本当に必要なのは『社会との関わりの中で見つける自分の存在意義』というもの。その「社会」ってもしかしたら「家族」や「職場」や「地域」というように人によって様々だろう。つまり『社会の中で役に立っている感覚』を持つことが、きっと『自立する』ためのヒントなんだろう。


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