見出し画像

他者への没頭

テレビや本を見ていると、何気に名言がでてくることが結構ある。

最近は、名言集のような本もオシャレな装丁になっていて、眺めているだけで素敵な言葉に想いを馳せることも楽しい時間。

先日あるドラマ(ついこの間までやっていたあれです、あれ!)ででてきた、エリック・ホッファーの言葉がとても残っている。

他者へのの没頭は、それが試練であれ、妨害であれ、愛情であれ、憎悪であれ、つまるところ、自分から逃げるための手段である。
(エリック・ホッファー)


この言葉は、とても長い間、私のテーマとなっていて、深く考えさせられてきたことでもあり、見事に一言で言い表しているなぁ、と思った。


「人の行動」を観察していくと、いろんな理由をつけて、自分から逃げていることがたくさんある。もちろん、私も類に漏れず。

ずっとそうやって生きてきたことに気づいて、整理がついたのは、随分と大人になってからで、今だって、気づくとそういうことをしているってこと、結構ある。


日本人は特に、

人の嫌がることや迷惑になることはしない。
相手の立場になって考えなさい。


と、子どものころから、他者を優先し、またその行為は素晴らしい!という価値観に馴染んでいる人が多いと思う。


もちろん、そうなんです。それ大切ですよね。
困っている人がいれば、困ってない人は助けてあげればいい。
損得勘定なしに、声をかけあって「ああ、よかった!」って、お互いが思える時間がある人生、そういう世の中であってほしいと思う。


でもそれと、自分の行為の根源を探ってみることは、ちょっと違う話。

ちょっと、「その行為のスタート地点」を考えてみてください。

自分が何かをする理由が相手にあるとき、
自分の人生の時間を相手に差し出していると思いませんか?

もちろん、お互いに差し出すことで、よりよい時間が生まれたり、素晴らしい時間になったりすることは、人生でとても素敵なことで、たくさん、そういう時間があるといいなな、と、いつも思う。

そして、
「まずは、自分から与えよう!」という言葉もよく聞くけれど、
一方的に差し出し続けることと、お互いに差し出すことは、少し違う。

これって、見る方向変えてみると、
自分の時間を放棄し、相手に時間を差し出している。
そして、相手はそれを搾取している。

そう見えませんか?

これは、
自分が向き合わなきゃいけないことから逃げて、
大切なことの優先順位を自分で下げてる
ってこと。

そういう風にも考えられますよね。(我ながら辛辣!)
そして、なんとも、もったいないこと!

環境がどうとか、人間関係がどうとか、まだ起こってないことを想像して、そうなったら困るからやめておく、とか、目を背ける理由って色々。
(もちろんそれは、ほんとにやりたいことじゃなかったり、タイミングじゃなかったりするときに、そういうことが自動的に起こってたりもしますが。)

答えが先にあって(逃避)、あとから理由を探している状態です。


そして、
与えよう!って、いろんなところで書かれてるし、わかるんだけど、
これは一体、どこが違うんだろうか。って、随分と長く思ってました。
顕れている行動は同じだし、あまりにも自動的にしていることが多すぎて。


これ、一つ、自分でできる解決法があります。

望まれても、やりたくないなら、やらない。

これだけです。
どんなことでもです。善悪、正義なども考えずに。
人にどう思われるか、なんて思うのも、もってのほか。

なにかいいことを思いついたけど、これをやったら、あとで息切れするな、とか、あれが大変だな、これはどうしよう、と、考える余裕があるときは、たいてい迷っている時です。

そんなときは、やらない。
自然に何も思わずに、気持ちよくwelcomeできるか。
走り出しちゃうかどうか。

よく、ワクワクすることをしよう!とか、楽しい気持ちになる選択を!などありますが、それってこれなのかな。
楽しい!ってそれぞれの基準があるから、しっくりきてなかったのだけど、
「自然に」
これは大きな判断基準になると思う。


やれるのにやらない、って、私は結構、罪悪感を感じていました。
ちょっと頑張ればできるしね、と、チャレンジしろってことだな!と。

そんなときは、
迷ってはいるけれど、気が進まない、と、認めてあげると、
マインドがスムーズになり、心は晴れやか、自分にOKだせます。

そして、また「自然に」どうしたいか、が浮かんでくる。
それの繰り返しです。


そして、純粋に相手を想って、自然に、迷わず行った行動は、
どんな風に受け取られたとしても、後悔も少ない気がします。

親切の押売りになってること、たくさんありますよね。
ボランティア活動しているときに、とてもそれを肌で感じたことがありました。

それぞれが望むこと、想ってることって、
同じ時間・空間を共有していても違う
、ってことがたくさん。

例えば、人が集まったとき、賑やかに盛り上げることがいいと思って頑張っちゃう人もいれば、静かな会話や空気を楽しみたい人もいますよね。
結果、良かれと思ったことが、お互いに迷惑だなー、と、その場が苦手になっちゃったり。
でも、想いは自由。どちらが悪いわけでもありません。

その根源には、
相手のために「頑張って」やっているか、
本当に自分が「やりたい」からやってるかで、

表面的には一緒でも、結果に対する気持ちは、全く違います。

いつも後者であれば、心は晴れやか。
どんな結果になったとしても。
情けは人の為ならず。巡り巡って自分のため、なのです。
それを繰り返しているうちに、他者や環境への不満が減っていき、
自分の時間が訪れます。

他者への行為、それは、決して相手のためじゃなく、
自分を満たしていることにも繋がっていきます。

他者や環境を理由に自分自身から逃げていないか、
自分の行動は自分のためにやっていること、
いつも問いかけて、忘れずにいたい。

コロナ禍になり、自分がどんな選択をして、どういうことが幸せと思っているのか、今、ライフスタイルを含め、改めて考えてみるいい時間です。
これからの時代は、自分で自分を満たすこと、ますます大切な時代です。

他人の人生の邪魔をせずに、自分のために時間を使いましょう。

いつもなにかにチャレンジしましょう!戦いましょう!がんばりましょう!ということではなく、昼寝もよし、怠けるもよしなのです。

自分から逃げないで、ちゃんと見る。ということなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?