岩崎庭園

湯島のお屋敷を訪ねる

多くの観光客で賑わう上野公園、巨大な敷地の中にはたくさんの美術館や博物館が立ち並ぶ。この場所は建築博物館と呼ばれるほど、都内でも多くの文化施設が集まる場所だ。

公園の人混みに疲れたら、少し周辺を散策するのも良い。湯島の方に足を延ばせばだんだんと人もまばらになってきて、不忍池を眺めながら落ち着いて散歩ができるだろう。公園を西に抜けるとそこには一見、無機質なビルが立ち並んでいるだけのようだ。だけどそこで引き返すのはもったいない。なにせ、都内でも指折りの名建築はその奥にひっそりと佇んでいるのだから。

岩崎庭園

旧岩崎邸庭園 1896年

坂を上がると見えてくるのは、これぞ森の洋館といったたたずまい。全体の大きさ、部屋ごとに屋根の高さが変わっているのがオシャレ。じっと眺めていて飽きないし、広い敷地の中で建物に寄ったり引いたりできる。

この建物は明治時代の中頃、あの三菱を創業した岩崎家の自宅としてお雇い外国人、ジョサイア・コンドルによって建てられた。この時代はまだまだ日本人の手で本格的な西洋建築が作られることは少なく、専ら本場ヨーロッパからやってきた建築家の手に頼っていた。

岩崎庭園6

コンドルは明治10年にロンドンから東京にやってくる。上野には西郷隆盛の有名な像があるけれど、明治10年と言えばちょうど西郷が西南戦争を引き起こした年に当たる。まだまだ日本という国が方向性を模索していた、そんな動乱期にコンドルは政府から建築の先生として招かれた。当時24歳だった。先に書いたお雇い外国人というのは、欧米の進んだ技術や制度を取り入れるために莫大な給料と引き換えに日本政府が雇った外国人たちのこと。コンドルをはじめとして多くの先生をヨーロッパから招き、日本人は貪欲に先進技術を学び、自分たちのものにしていった。

この岩崎邸はコンドルが手掛けた中で現存する最古の作品になっている。今でも見られる代表作としてはバラの花で有名な古河邸、御茶ノ水にあるニコライ堂あたりだろうか。

来日の初期は専ら政府から依頼された仕事に携わっていた。有名なものが鹿鳴館(ろくめいかん)。歴史の教科書に出てくるドレスを着た日本人がぎこちなく社交ダンスをしているあの画を覚えているだろうか。形だけでも必死に欧米人になろうとする姿は滑稽でもあるけど、社交場を作って外交を始めなければ世界と対話できないという切迫した状況が伝わってくる。
そんな時代とあって、フランスの古典主義建築こそ晴れやかな社交場に相応しいとされ、コンドルはそうした点に配慮して鹿鳴館を作ったが、彼のやりたい仕事ではなかったらしい。デザインも酷評された。

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南側に回ると和館が併設されている
洋館のカーペットからいきなり畳の通路が現れるのにはびっくりした

この敷地は江戸時代の大名屋敷の作りをそのままに建物を建てた。僕はタイトルでお屋敷と書いたけど、なんだ写真は立派な洋館じゃないかと思うかもしれない。だけど奥に行けばしっかりとお屋敷も併設されているんだ。と言うより、岩崎家は社交の場として表の洋館を使って、生活はもっぱら裏にある日本家屋で送っていたというから面白い。日本人はやっぱり畳が落ち着く、ということかな。

岩崎庭園3

南に面したベランダ

実はベランダというのは当時のヨーロッパの住宅には存在しないんだそうだ。こうしたスタイルの家を横浜なんかで目にすることがあるから、西洋人はこういう家に住んでいるものとばかり思っていた。ベランダ併設の住居は植民地を持つようになってからアジア各地で作られたコロニアル様式と言われる。アジア特有の熱帯性気候から涼をとるためにつくられた。その流れから、西洋のスタイルだが一種の東洋趣味のようなものとして使われるようになったというから、なんだか不思議だ。
また、この建築をはじめコンドルが日本の建築に好んでつかったのがインド・イスラム式の装飾。日本には建築「様式」がまだ存在しないと見たコンドルは西洋と東洋の中間にあるものとしてこの様式をつかったという。ベランダのタイルにはそうしたイスラム風のデザインが使われている。(というのは参照しているガイドブックを見ながら書いていて気が付いた・・・、当日は見逃してしまったので写真がないのが残念・・・)とてもきれいなタイルなので行った際は是非足元にも注目してほしい。

岩崎庭園2

敷地内には少し離れてビリヤード場がある

パンフにはスイスの山小屋風の造りとある。木目が素朴な印象で、目にやさしいかんじ。どこか田舎にきたような温かい雰囲気があった。

岩崎庭園4

ビリヤード場内部
洋館とは地下通路で繋がっている。だけど一般には非公開

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併設の近現代建築資料館からの眺め

この資料館は岩崎邸と同じ敷地の中にあって、入館料を払えば資料館も一緒に入ることができる。2階部分は、お屋敷の全景が見えるおすすめのビューポイント。和館と洋館のつなぎ目がはっきり見えておもしろい。


ここに来る前に読んだ建築史家の藤森照信さんの本にはこういう解説があった。

ヨーロッパはまず様式にこだわる。一つの建物の中に複数のスタイルを組み込むことはしない。

そういう意味では和から洋、さらにはイスラムやらスイス山小屋までいろんな様式がミックスされている岩崎邸庭園はすごくカオスな空間なのかもしれない。なのにこの場所にくると感じるある種の落ち着きは何だろう。
僕はこういう折衷案的な発想はすごく日本の文化らしいと思う。コンドルは当時のお雇い外国人としてはめずらしいくらい日本文化へのリスペクトを持った人だったようだけど、この建築にはヨーロッパの技術力だけじゃなく彼のユニークな想像力も備わっている気がした。だから洋館なのに親しみが湧くし、庭園との相性も良くて全くケンカしていない。
湯島のお屋敷には新しい時代があった。だけど時間はずっとつづいている、それは今も変わらずに。


近現代建築資料館で開催されていた「吉田鉄郎の近代」については次回以降、この日実際に見学した建築と合わせて紹介したい。

つづく

参考:日本の近代建築(上) 藤森照信
参考:プレモダン建築巡礼 磯達雄 宮沢洋

#建築 #東京 #街歩き #散歩 #歴史

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