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No.16 『ローマへの道』

今日でパウロの伝道旅行の話自体はいよいよ最後となります。
前回、お話ししたようにエフェソからエルサレムへ向かうパウロに対して、まわりの人々は聖霊に告げられてエルサレム行きがパウロにとってどういうことを意味するかを知って引き留めようとしました。しかし、パウロは定められた道をまっすぐ進むようにエルサレムへ向かいました。
エルサレムに着いたパウロは世話になっていたヤコブの家を訪れ、そこに集まっていた長老たちに異邦人伝道の成果を報告、それを聞いた長老たちは非常に喜ぶのですがパウロについてよくない噂が立っていることを告げます。パウロが異邦人のなかに住むユダヤ人に対して「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と教えているというものでした。そこで長老たちは身の潔白を示すためパウロに神殿に昇るよう勧めます。(使途言行録21:23~26)
しかし、この長老たちの勧めの結果、パウロの自由が奪われることになりました。

■使途言行録21:27~30
七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。

こうして扇動されたユダヤ人がパウロを殺そうとしてエルサレムが大混乱に陥ります。混乱を収めるためローマの千人隊長はパウロを捕らえますが、どうしてこんなことになったのかパウロを鞭打って調べようとしたときにパウロがローマ市民権を持っていることを知り、確認もせずに鎖で縛ってしまった失態に狼狽えます。
翌日、千人隊長は祭司長たちと最高法院全体の召集を命じてパウロを立たせて事情を知ろうとします。祭司長、最高法院の人々はパウロを罪に定めようとしますが、パウロが復活の話をしたことで復活を信じないサドカイ派と信じるファリサイ派が分裂してファリサイ派がパウロの擁護をするというおかしな事態になりました。
祭司長やユダヤ人の長老たちは何とかパウロを殺そうと画策しますが千人隊長はそれを知ってカイサリアの総督フェリクスのところへパウロを護送します。このフェリクスは妻がユダヤ人ということもあって、ユダヤ人について詳しい知識があったようなのですが正しい裁判ができる人間ではなく、パウロを裁く際に有利になるよう金をもらおうとしていました。パウロは2年以上軟禁状態にあり総督フェリクスに代わってポルキウス・フェストゥスが総督として着任、パウロの裁判を引き継いだ時にパウロは上訴してローマ皇帝のもとに出頭、ローマ行きが決定します。
この後、パウロはアグリッパ王(ヘロデ王の曾孫)と会い、キリストについて語ります。アグリッパ王はパウロに「私をキリストの信者にしてしまうつもりか」と言いますが悪い印象は持たなかったようです。アグリッパ王はローマの皇帝の元で育ったこともあり、ヘロデとはかなり性格がちがっていたようです。

これがパウロのローマに行きの経緯になります。ルカが同行しているためかこのあたりの事情が非常に細かく記載されていますが、エルサレムの教会の長老たちの言動と指示が気になります。
もう少し、パウロに対して気遣いがあれば神殿で捕まるというようなことはなかったのではないかと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

【まとめ】


パウロがエルサレムに行く際に五旬節(七週の祭り)に間に合うことを気にしていました。
七週の祭りはユダヤ人にとって律法を授かった日でもあります。初代教会の長老たちはパウロに神殿に昇るように勧めたのには律法を重視する七週の祭りのなかであったことも影響しているかもしれません。この祭りでは種を入れたパンを捧げることになっていましたが、種は「罪」を意味しているため、本来は神に捧げることができないものであるということを何度かお話しさせていただきました。それは罪ある者がキリストの十字架の贖いによって罪のないものと見なされることを意味しています。この種を入れたパンですが何故か2つ捧げるよう定められていました。(レビ記23:17)どうして2つでなければならないのかというと、1つはユダヤ人、もう1つは異邦人を示していて、キリストの新しい契約(律法)によって2つのものが結びつけられることを意味します。ダビデ王の祖先のルツとボアズが結婚したのも七週の祭りの日であるとされていて、異邦人であったルツがイスラエルと結ばれてダビデ、キリストの家系へ繋がっていきます。

そのため、この神殿での出来事には深い意味があると思います。パウロを妬んだユダヤ人は神殿で異邦人を拒絶して神殿の門、すべてを閉じてしまったのです。パウロを執拗に殺そうとしていたサドカイ派のユダヤ人は金で買った神殿の権威を傘にしていたような人たちでした。自ら自分たちを神の計画に対して意味のないものにしてしまっていたのです。参考までに前述のアグリッパ王はユダヤ人の反乱の際にローマに協力して紀元70年の神殿破壊に間接的に関わっています。

一方、教会の長老たちの言動と判断に戻しますが、明らかに失態だったと思います。パウロの話を注意深く聞いていればパウロについての噂は一蹴できていたと思いますし、長老たちがちゃんと皆に説明すれば済んだことなのではないかと思います。しかし、パウロは長老たちの勧めがなくても神殿に昇っただろうと私は思います。七週の祭りでは男性が神殿に昇ることが定められており、パウロはそれに間に合うようにエルサレムへやってきたのです。パウロは神殿でユダヤ人たちに捕まりひどく殴られた末にローマ兵に鎖で繋がれ、千人隊長、総督フェリクス、総督フェストゥス、アグリッパ王と会いますが、保護されたようではありますが誰も助けにはなりませんでした。

パウロの助けとなったのは主キリスト・イエスだけでした。

■使途言行録23:11
その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

私たちは人間ですからどうしても人を見てしまいます。誰かが自分に悪意を持っているからとか、誰かが失敗したから自分がこういう状況になってしまったというように思いがちです。けれども、パウロのまっすぐな生涯を考えるなかで気づかされるのは、あれだけ多難ななかでも誰も邪魔することができず、何も障害になることがなかったということです。
クリスチャンの生涯というのは誰かが邪魔しようと思ってもできるようなものではなく、私たちは定められた道だから歩むのであって関わった人は関係ないのです。事故や病気や怪我、その他の身の回りで起こることは艱難ではあっても私たちの道を妨げるものでは決してありません。

パウロはローマに護送され軟禁されましたがローマで自由にキリストを語り伝えました。パウロはユダヤ人と異邦人を結び付ける役割を生涯、全うしました。

■2テモテ
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。

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