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No.9 『知られざる神』

 今日もパウロの第2回伝道旅行の話になりますが、マケドニアでユダヤ人の執拗な妨害に会ったパウロたちはべレアにシラス、テモテを残してアテネに逃がされます。恐らくべレアの街まではローマを目指してエグナティア街道を旅していたのだと思いますが、パウロが狙われていることを知った周りの人たちが街道から外れたアテネへと逃がしたのだと思われます。後に書かれたローマの信徒への手紙にはパウロが何度もローマに行こうと試みて妨げられていたことが書かれています。(ローマの信徒への手紙1:13)
ですからパウロがアテネへ来たのは成り行き上のことでしたが、そこアテネに偶像がはびこっていることを見てパウロ魂に火が付きます。

■使途言行録17:16~21
パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。

アテネの偶像はギリシャ神なのですが、面白いことにギリシャの神々に関しては他の宗教にあるような信仰という概念はないのです。教典も教理もないため信仰を教える者もいません。ですから、ギリシャ神話という形で現代に残っていますが宗教としての形はありません。私もアテネに行ったことがありますが、パルテノン神殿は圧巻の大きさでアポロ神殿の跡地も広大な広さがありました。パウロはこの神殿などを見て憤慨したのだと思いますがアテネの人たちは神をそれほど信じてはいなかったのです。
パウロはアテネでエピクロス派やストア派の哲学者たちと討論します。ストア派は「ストイック」の語源となっており、禁欲主義と理解されていますが実際には過度な欲求を抑えることで現状を満足できるようになるという考え方です。対してエピクロス派というのは快楽主義と捉えられていますが、当時のエピクロス派の哲学では快楽を追い求めるというのではなく人間の本質的で自然な欲求のみ満たして平常心でいられることを求める考え方です。パウロがキリストの話をした時に彼らは非常な関心を示し新しい考え方に興味を持ちましたが、復活の話になった時に急に冷めた反応になったことが記されています。ルカが「何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。」と記した中には「ουδεν(ウデーン)」というギリシャ語が含まれていて「なにひとつない」という意味を込めて辛辣な表現をしています。
結局、アテネでの伝道はほとんど成果もなくコリントへ向かっています。当初の予定ではアテネでシラスとテモテを待つ予定だった筈なのですが、合流したのはコリントでした。これはパウロが早々にアテネを立ち去ったからではないでしょうか。
アテネはギリシャ世界でも非常に重要な街だった筈で伝道の拠点となってもよかったと思いますがパウロはアテネを重視しませんでした。第3回伝道旅行でもアテネを通った可能性があるのですが使途言行録でそのことに触れられていません。

【まとめ】


アテネは皆さん知っての通り多くの有名な哲学者を輩出しており、知識を極めようとした人々が集まっていました。毎日のように集まった人たちと討論していたのだと思います。それだけに知識は人間世界の範囲を越えることができず、多くの神殿があったにも関わらず神学が発展しませんでした。エピクロス派もストア派も自己の精神を安定させるために周りのことを理解していくという考え方になっていったのだと思われます。神に過度な期待をせずに何となくいるであろう存在として認識するのみで、神との直接的な関わりがありませんでした。
例えば、キリスト教には「赦し」があります。この罪が赦されるという概念は人間世界の範囲を越えてしまっています。なぜなら、人間が「赦し」を理解しようとしてもそこには「不公平」という大きな問題にぶつかるからです。罪を犯した者はその分、罰を受けなければ公平だと思えないですよね。私もそう思いますが、これが人間世界の範囲です。
言い方が悪いですが、アテネでパウロが接した人たちはその限りある人間世界の知識の範囲で答えが出ない知識遊びをしていたのです。

■1コリントの信徒への手紙1:20~21
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。

13世紀の神学者、トマス・アクィナスは「哲学は神学の婢」という思想を表明して後世のキリスト教に大きな影響を与えたと言われています。こうして神学が学問の最上位になっていく訳ですが中世になって悪影響も出てきます。トマス・アクィナスがどういう考えでこの思想を残したのかわかりませんが、知識を求めることを貶めるのは間違いだと思います。少なくともパウロは知識人でしたから、知識を否定するような考えは持っておらず、ユダヤ人に対して確かな知識でキリストを論証しています。ただ、次のように警告しています。

■1テモテ6:20~21
俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。

パウロがアテネで『知られざる神に』と刻まれている祭壇を見つけたと言っていますが、ルカは使途言行録のなかでこれに二重の意味を含ませているように思えます。知識に囲まれながらも神を知ろうとする姿勢がそもそもなかったのだと思います。
このアテネの状況ですが、私は少し現代の日本の状況に似ているのではないかと思ってしまいます。日本にも多くの偶像の神々がありますが、日本人で信心深い人はそう多くなく自分の生活の一部として神がいます。何となく自分の安心のために神を利用している状況です。知識欲もありますが、本当に人間世界の範囲を越えた領域となると冷めた視線になってしまいます。
私はキリストを信じるにあたって妄信的な信仰を持つべきではないと思いますし、誰に対しても「とにかく信じなさい」、「信じればわかる」というような信じ方は勧められません。客観的に考えて、論理的な信仰を持つべきだと思っています。
人の知識の及ぶ範囲をもう少し越え、柔軟な考えをもって神を知る人が増えていくことを願います。

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