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『権威と力による召し』

2024年7月28日

 先週に続きルカによる福音書からお話しさせていただきます。ガリラヤで活動をはじめたキリストはガリラヤ湖畔の街、カファルナウムに向かいます。
ガリラヤ湖北岸にあったカフェルナウムの街は漁業、農産物の収穫、貿易で非常に栄えていて交通の要所にあったためローマ軍が駐留していたようです。カファルナウムを中心に東のベトサイダ、北西にコラジンがあり、キリストは宣教活動のほとんどをこのガリラヤ湖北岸一帯で行っています。カファルナウムの名前は「慰める者の村」という意味になるそうです。

■ルカ4:31~37
イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。 人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。

キリストが安息日(土曜日)にユダヤ人会堂(シナゴーグ)に入って教えられ人々を驚かせますが、そこに悪霊に憑かれた男がいたのです。悪霊憑きにもさまざまなものがあって明らかに異常な行動をとり誰の目にも普通ではない者もいますが、この悪霊は会堂に入り込んでいてキリストが話を語り終えるまで異常さを隠していたようなので、狡猾で賢い悪霊だったのではないかと思われます。賢い悪霊は巧妙な接し方をするのでその語るところに応じてはいけないのです。キリストはこの悪霊に話すことを許しませんでした。

■ルカ4:38~41
イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。

次にキリストはシモン・ペテロ(この時はまだ弟子になっていない)の家に行ってしゅうとめの高熱を癒します。この時、バプテスマのヨハネの弟子だったアンデレは師の勧めでキリストに同行していたのではないかと思われます。そのアンデレの案内でペテロとアンデレの家に来たと思われます。
それにしても熱を叱りつけたというところに凄く違和感があります。その後にやってきた病人に対しては手を置いて癒されています。ルカは医者であったのに何故、このような書き方をしたのでしょうか。


【まとめ】


少し話は逸れるのですが…ペテロは本当にただの漁師だったのでしょうか?
今更、何を?と思うかもしれませんが、漁師だったことは福音書に明記されているので間違いないでしょう。でも、もしかしたら、私たちがイメージする日夜、働いていて、それほど裕福ではない漁師と少し違うかもしれません。
ペテロのしゅうとの癒しのペテロのものとされている家はカファルナウムにあり、ユダヤ人会堂から30mと離れておらず、その会堂もキリストの時代からガリラヤで最も大きかったようです。また、キリストが十字架にかかった後、ペテロは漁師に戻っていました。網と舟を捨てて弟子となったペテロがどうやって網と舟を再び手に入れたのでしょうか。

キリストの時代後に建てなおされたカファルナウムのシナゴーグ跡

シモン(ペテロ)の家はガリラヤでのキリストの活動の拠点にもなっていた可能性があります。カファルナウムは当時、非常に栄えていたのでペテロは貧しい家の出ではなく、漁師の網元のようなある程度、裕福な家だったのかもしれません。弟子たちのなかでのペテロのリーダ的な役割、性格もそのあたりに影響しているのではないかと想像します。

さて、話を戻しますが、ペテロのしゅうとの癒しは安息日である土曜日でした。ユダヤ人の当時の律法の捉え方では安息日に仕事をしてはならず、病人を癒すのはNGでした。ですから、日が暮れてから人々がキリストに癒しを求めて押しかけてきたのです。ユダヤ人の一日は夕暮れからはじまるので日が暮れたら安息日の翌日となる訳です。キリストが熱を叱りつけたというのはそれが影響しているのがひとつ、もうひとつは病気を癒すという人間の理解の限界を越えて、神の権威と力を示すためだったと思います。現代医学を知る私たちにとって「熱を叱る」というのは違和感しかないのですが、医学的に無茶苦茶でも病気という枠を取っ払って、苦しみを拭い去る権威と力が神にはあるということを知らせるためでした。
ところが、カファルナウムの地域には悪が満ちていたと記されています。

■マタイ11:21~24
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

マタイのこの箇所を読むと、驚くべきことにこのカファルナウムの街が裕福でソドムよりも罰が重いと非難されています。
ここから推測するとこの街はひどい状態にあり、律法に背いた裕福な人々がいれば虐げられて貧しい人々もいたのではないかと思われます。ペテロも後にキリストの弟子になる際に罪人であることを告白しています。

■ルカ5:8
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」

ペテロの兄弟のアンデレはヨハネ(12弟子)と供にバプテスマのヨハネの弟子となっていましたが、ペテロはその悔い改めの話を聞いても恐らくカファルナウムで罪に染まるような生活をしていたのではないかと思います。もしかしたら、ヨハネ(12弟子)の兄弟、ゼベダイの子ヤコブもペテロと漁師をしながら同様の生活をしていたのかもしれません。
アンデレは兄弟ペテロを、ヨハネ(12弟子)も兄弟ヤコブを気にかけていて、ペテロの家にキリストを招いたのではないでしょうか。
そして、キリストもそのペテロとヤコブを必要としていました。

ですから、この病んでいた街から神の直接的な権威と力をもってペテロを召しだしたのではないでしょうか。
預言者であるバプテスマのヨハネの悔い改めに応じようとしなかったペテロも神の直接的な権威を前にして悔い改めたのです。

■ルカ5:10
イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」


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