辛かった200円の肉
また過去の記憶を掘り起こしますけど・・・
掘り起こすって言っても、いつでも覚えていますね。
小学校2年生の頃には、食料品を買ってくる役目は私の役目でもありました。
そのあと調理するのも私と姉なんですが。
我が家は5人家族でした。
父は飲みに行ってしまったり、女性の家に泊まってしまって帰ってこなかったりはしていたものの、いつも父の分の食事も用意していました。
買い出しに行くときに渡されるもの。
200円。
これで、肉を買ってきなさいと。
肉は小間だったりバラだったりと指定もありました。
当時、団地に住んでいましたが、同じ団地内にスーパーがありました。
そこには肉屋、魚屋などが入っていて、まぁ、ちょっとした商店街をスーパーという箱に移しただけみたいなものですが。
その肉屋に200円を握りしめて行くわけですよ。
肉の種類を間違えないように、何度も何度も口の中で繰り返しながら行くわけです。
所持金は200円です。
それで、言うわけです。
「このお金で、豚小間を200グラム買えますか?」
買えない、と言われたら
「これで買えるだけください」
と頼むわけです。
5人分の肉が、200グラムです。
当時は今より物価は安かったと記憶していますが、それでも夕飯にあがるのは、一人あたりほんのちょっとの肉だけ。
もやしなどでかさ増しをして工夫していましたが、その200円の肉を調理するのに用意されている調味料は砂糖と醤油、にんにく醤油、味噌だけです。
その調味料で、毎日違う味を作らねばならないという課題も課せられていました。
そして、父にはつまみと生ビールが毎晩ありました。
母は何をしていたかって?
近所で井戸端会議をしていました。
母は、そうした行動をしつけだと考えていたし、家族は助け合って生きるものなんだ、というのが教えでしたので、なんとも思わなかったみたいです。
私が高校2年生あたりになるまで、我が家の食費はツキ1万5千円でした。
米も含めてです。
私は小学校にあがるまで、脚気を患っていました。
小学校になると、給食があるので、給食をおかわりしました。
当時女子でおかわりする子はほとんどいませんでした。
代わりと言ってはなんですが、我が家には服飾品、立派なステレオセット、ソファ、やや高価な絨毯、服、靴。
そうしたものはありました。
でも、食べ物や、学習に必要な文房具などはほとんど買ってもらえませんでした。
先日また母から帰ってこいコールがかかってきて、その際にまた言われました。
「お前の家は今食費いくらかかっているの?我が家は5人家族でずっと1万5千円でやってきたのだから、高くても二人でそのくらいに抑えないとだめだよ」
仕事中なので、と言って電話を切りましたけど、あの幼い頃の200円の肉を思い出して、本当に悔しかったですね。
自分の娘には絶対したくない行為です。