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【歴史】14世紀 - 日本史

本件についてstand.fm(音声配信)にてお話ししています↓

【天皇】

後二条天皇 ごにじょう

花園天皇 はなぞの

<南朝>               <北朝>

後醍醐天皇 ごたいご          光厳天皇 こうごん

後村上天皇 ごむらかみ         光明天皇 こうみょう

長慶天皇 ちょうけい          崇光天皇 すこう

後亀山天皇 ごかめやま         後円融天皇 ごえんゆう

                    後小松天皇 ごこまつ


【院政】

後宇多上皇 ごうだ

伏見上皇 ふしみ

後伏見上皇 ごふしみ

後宇多上皇


【将軍】

守邦親王 もりくにしんのう

足利尊氏 あしかがたかうじ

足利義詮 よしあきら

足利義満 よしみつ

足利義持 よしもち


【執権】

北条師時 ほうじょうもろとき

北条宗宣 むねのぶ

北条煕時 ひろとき

北条基時 もととき

北条高時 たかとき

北条貞顕 さだあき

北条守時 もりとき


【管領】

※管領・・・室町幕府において将軍に次ぐ最高の役職
      将軍を補佐して幕政を統轄

高師直 こうのもろなお

仁木頼章 にっきよりあき

細川清氏 ほそかわきようじ

斯波義将 しばよしゆき

細川頼之 ほそかわよりゆき

斯波義将 2回目

細川頼元 ほそかわよりもと

斯波義将 3回目

畠山基国 はたけやまもとくに


【政治】

1317年 文保の和談 ぶんぽうのわだん

御嵯峨天皇の皇子である、後深草天皇の子孫(持明院統 じみょういんとう)と亀山天皇の子孫(大覚寺統 だいかくじとう)の両血統の天皇が交互に即位することを定めたとされる合意


1321年 院政廃止


1324年 正中の変 せいちゅうのへん

後醍醐天皇とその腹心である日野資朝(ひのすけとも)と日野俊基(ひのとしもと)が鎌倉幕府に対して討幕を計画したという疑いをかけられた事件


1331年 元弘の変 げんこうのへん

鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱


1333年 北条高時(31)自殺、鎌倉幕府滅ぶ


1334年 建武の中興 けんむのちゅうこう

鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が親政を開始したことで成立した政権
※親政・・・天皇が自ら行う政治
元弘の変の内乱後の混乱を収拾しきれず
足利尊氏との戦いに負けて政権崩壊


1336年 足利軍が京都にくると後醍醐天皇は比叡山に逃れる
    足利方の和睦の要請に応じ三種の神器を渡す
    足利尊氏は光明天皇を新天皇に擁立、幕府を開設

廃帝後醍醐は花山院に幽閉されていた。
※花山院は邸宅、場所は現在の京都御苑内

後醍醐は花山院の脱出に成功する


「足利尊氏に渡した三種の神器は偽物である」と主張


後醍醐は足利尊氏に渡した三種の神器は偽物であるとして

吉野に自ら主宰する朝廷を開く。
※吉野は現在の奈良県

京都朝廷(北朝)と吉野朝廷(南朝)が並立する南北朝時代が始まる

後醍醐は北朝に対抗するも劣勢を覆すことができないまま病に倒れる
宝算52(満50歳)であった。

足利尊氏は後醍醐天皇を弔い、京都に天龍寺を造営している。

1392年 南北朝合一

1934年 足利義満 太政大臣


1399年 応永の乱 おうえいのらん

守護大名 大内義弘が室町幕府に対して起こした反乱


【外交】

1306年 商船が元に至り貿易

倭寇活動、略奪、私貿易、密貿易


【社会生活】

1302年 鎌倉大火 死者500余人

1310年 鎌倉大火

1315年 鎌倉大火

1317年 京都大地震 数月続く

1354年 近江土一揆
    ※民衆の集団的な蜂起

1378年 犬追物 いぬおうもの

日本の弓術の作法、鍛錬法
騎手が何匹犬を射たかで争う、矢が貫かないよう特殊な鏑矢(かぶらや)を使用する。打ち方や命中した場所によっていくつもの技が存在した。


1387年 南九州国一揆

1394年 阿蘇山大噴火


【文化】

1331年? 徒然草 吉田兼好

1339年 神皇正統記 じんのうしょうとうき
著者 → 北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)

1346年 天龍寺落成

1397年 足利義満 金閣を建立

ご興味を持っていただけたらよろしくお願いします。 全てアウトプットする為の情報収集に充てさせて頂きます。