【歴史】15世紀 - 日本史・政治
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【天皇】
後小松天皇 ごこまつ
称光天皇 しょうこう
後花園天皇 ごはなぞの
後土御門天皇 ごつちみかど
【将軍】
足利義持 あしかが よしもち
足利義量 よしかず
足利義教 よしのり
足利義勝 よしかつ
足利義政 よしまさ
足利義尚 よしひさ
足利義稙 よしたね
足利義澄 よしずみ
【管領】
斯波義教 しば よしのり
斯波義淳 よしあつ
畠山満家 はたけやま みついえ
細川満元 ほそかわ みつもと
畠山満家 2回目
斯波義淳 2回目
細川持之 もちゆき
畠山持国 もちくに
細川勝元 かつもと
畠山持国 2回目
細川勝元 2回目
畠山政長 まさなが
【政治】
地方分権の進行
1404年 島津元久(しまづ もとひさ)を日向(ひゅうが)
大隅(おおすみ)の守護とする
1407年 薩摩守護 島津伊久(これひさ)死亡 島津元久が侵入
1411年 細川持有(もちあり)を和泉半国守護とする
1415年 伊勢国司 北畠満雅(きたばたけ みつまさ) 乱を起こす
1425年 島津忠国(ただくに)を日向・大隅・薩摩 三国守護とする
1428年 北畠満雅 小倉宮(おぐらのみや)を奉じ
南朝の復興を企図し敗死
1439年 永享の乱 (えいきょう)
鎌倉公方:足利持氏(もちうじ)と関東管領:上杉憲実(のりざね)の対立
→足利持氏(42歳)父子自殺
鎌倉公方・・・室町幕府が関東を統治するため設置した鎌倉府の長官
※読み:かまくらくぼう
1441年 嘉吉の変(かきつ)
武将:赤松満祐(みつすけ)が将軍:足利義教を殺す
→赤松満祐(69歳)等、自殺
1457年 太田道灌(どうかん) 江戸城を築く
1467年 応仁の乱 起こる ※幕府の主導権争い
【東軍】細川勝元、【西軍】山名持豊(もちとよ)
激戦、11年間継続した内乱
足利義視(よしみ) 伊勢に逃れる
1468年 関白以下、京都の公家、乱を避けて地方豪族に流寓
1470年 南朝の遺臣、小倉宮の王子を奉じて紀伊に挙兵
1473年 山名持豊(70歳)、細川勝元(44歳)
大内正弘 摂津に挙兵
1477年 応仁の乱 終わり、諸将多く国へ帰る・・・
下剋上、群雄割拠、大名領の形成
1478年 大内正弘 豊前(ぶぜん)、筑前(ちくぜん)を侵し
これらを領有
1480年 斯波義良(よしすけ) 越前(えちぜん)に
朝倉孝景(たかかげ)を攻める
1486年 上杉定正(さだまさ) 太田道灌(55歳)を殺す
1488年 赤松政則(まさのり) 播磨、備前、美作(みまさか)を従える
1491年 伊勢長氏(ながうじ) 伊豆を占領
※伊勢長氏 = 北条早雲(そううん)
1495年 北条早雲、大森藤頼(ふじより)を逐い小田原城に入る
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