イスラエル・パレスチナの戦争から考える世界の秩序

10月7日のハマスによる突然の攻撃からパレスチナとイスラエルの間で戦争状態が続いています。私たちが生きているこの時代に、湾岸戦争、中東戦争、ウクライナ戦争など、多くの市民の死者を出すような暴力が発生し続けている状態に対して私たちはどのように関わっていけば良いのでしょうか。
今podcastを通じて憲法を学んでいるところなので、少し広い視野で国際的な秩序はどのように存在するのか、もしくはその国際的な秩序はどのように設計可能なのかという視点でパレスチナ問題について考えを深めたいと思います。

パレスチナ問題についてのおさらい

パレスチナ問題については、私自身があまりにも無知だったので、パレスチナ問題の概要についてまとめたものを載せています。本題とはあまり関係しないので飛ばしてもらっても構いません。

歴史的な背景

中東でパレスチナと呼ばれる地域は長年、オスマン帝国が支配していました。第1次世界大戦でこのオスマン帝国が敗れると、パレスチナはイギリスが支配するようになりました。
この土地は当時からユダヤ人とアラブ人が住んでいましたが、現在とは逆にユダヤ人は少数派でアラブ人が多数派でした。

第一次世界大戦時、イギリスは戦争資金を調達するためユダヤ人コミュニティに協力を仰ぎ、「パレスチナにユダヤ国家建設を支持する」と表明した書簡を送りました(バルフォア宣言)。この宣言をもとにイギリスはパレスチナ統治を開始し、イギリス委任統治領パレスチナは1922年設立の国際連盟で承認されました。

ユダヤ人にとってイスラエルは特別な場所です。ユダヤ人は古代はパレスチナで王国を持つなど活躍しますが、ローマ帝国に駆逐されて世界に離散し、各地でポグロムなどの残虐な反ユダヤ主義暴力を経験し、ホロコーストがその頂点となりました。

ホロコーストから逃れてきた多くのユダヤ人がイスラエルに入国しました。イスラエルの地では入国してきたユダヤ人・アラブ・イギリスの3者間での暴力が激化し、1947年に国際連合の総会が、パレスチナを分割しアラブ人とユダヤ人の国をそれぞれ作り、エルサレムはそれとは別の国際都市にするという決議案を可決しました。(パレスチナ分割決議)
ユダヤ人団体の指導者たちはこの国連総会決議を受け入れたが、アラブ側は拒否。この決議は実施されずに終わりました。

問題が解決できないまま、イギリスは1948年にパレスチナから撤退しました。そして、ユダヤ人指導者たちはただちにイスラエル建国を宣言後、第一次中東戦争(1948年~1949年)が勃発します。この戦争で70万人のパレスチナ人が居住地を追われ、多くの人が難民となりました。
国連総会は1948年12月に決議194号を可決し、「故郷に帰還を希望する難民は可能な限り速やかに帰還を許す、 そう望まない難民には損失に対する補償を行う」としました。 しかしイスラエル側は社会的・政治的不安定を招くとして、一貫してこれを否認してきました。

1950年、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が設立され、パレスチナ人への簡易住居の建設、 教育や医療といった基本的なサービスの提供を開始しました。

イスラエルはその後もパレスチナの土地を軍事占領下に置き、入植活動を進めました。1987年にパレスチナ人の不満が爆発し、ガザ地区の難民キャンプから「インティファーダ」と呼ばれる反占領闘争が広がります。こうした国際世論を受け、1993年にノルウェーの仲介により、 イスラエルのラビン首相と PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で「西岸及びガザで5年間のパレスチナ暫定自治を開始する」という暫定合意条約(オスロ合意)が米国で調印されます。

しかし、パレスチナ自治区の一向に変わらない状況への強い不満を背景に、武装組織によるイスラエルへの攻撃が続けられました。和平を進めてきたPLO幹部への反発から、イスラム原理主義勢力のハマスが台頭し、ガザ地区を制圧してイスラエルとの闘争を行いました。イスラエル側では和平を推進したラビン首相が暗殺されたことで、和平反対派が力を強めました。
このような状況を背景に、パレスチナとイスラエルの対立はさらに激化し、イスラエル側は激しい報復措置とさらなる自治区封鎖を行いました。 多くのパレスチナ人が刑務所に収容され、入植地の建設はさらに活発になっていきました。

その後は自治区の封鎖が強化され、巨大な「隔離壁」が建設されました。国際司法裁判所は、この隔離壁がパレスチナの自治を阻害し、生活圏を分断するものであり国際違反と裁定を下しましたが、 壁の建設は続行されて西岸は取り囲まれ、人々の移動が制限されています。

今起こっていること

このような経緯の中で、10月7日のハマスによる突然の攻撃でイスラエル側に出た死者は少なくとも1400人、囚われた人質は240人以上、そして今も続くイスラエル軍によるガザ地区への攻撃では、すでに桁違いの1万人以上が死亡し、その半数近くが子供だとされています。

おびただしい犠牲者が出ているガザ地区の現状について、国連のグテーレス事務総長は、「人道危機を越えた人類の危機だ」として、強い危機感を示しています。この1ヶ月間、ニューヨークの国連安全保障理事会では、戦闘停止を求める決議案が、各国の対立から繰り返し否決されてきました。「この衝突の原因は誰にありハマスは非難されるべきか?」「イスラエルの攻撃はどこまで認められるのか?」という論点の中で各国の思惑が対立し、意見がまとまらず対応できない状態に陥っています。

私は、このような民間人を巻き込む戦争状態を止められない国際社会にとても危険を感じるのですが、今までに幾度とあった戦争は多かれ少なかれ民間人を巻き込んでいます。度々起きている「戦争」は国際的にどのように見られているのでしょうか。

戦争に正当性はあるのか?

国際法

各国のコンセンサスから形作られいる国際法から「戦争」についての国際的な見方を調べてみようと思います。

まず、国際法の前提知識として、国際法という法典はありません。様々な条約や判例などが組み合わさった慣習法と言えます。

国際秩序に関連する主な国際法は以下のようなものがあります。

国際連合憲章: 国際連合(UN)の設立に関する最も重要な法的文書であり、平和と安全、国際的な協力、人権の尊重などの原則が規定されています。憲章は国際法の基本的な枠組みを提供しています。
国際人権法: 国際人権法は、個人や団体の基本的な権利と自由を保護するための法的枠組みを提供します。国際人権規約、国際人権宣言などがその一環です。
国際人道法: 国際人道法は、武力紛争時における戦争犯罪や人道的な観点からの保護を規定します。ジュネーヴ諸条約やハーグ陸戦法などがこれに含まれます。
国際刑事法: 国際刑事法は、個人に対する国際的な犯罪に関する法体系を指します。国際刑事裁判所(ICC)が、戦争犯罪や人道に対する罪、ジェノサイドなどを対象としています。
国際経済法: 国際経済法は、国家間の経済的な相互作用に関連する法体系です。これには国際通商法や国際投資法が含まれます。
国際環境法: 国際環境法は、国際的な環境問題に対処する法的原則を提供します。気候変動、生態系保全、生物多様性などがこれに含まれます。

ChatGPT3.5 国際秩序に関連する主な国際法

また、戦争に対する国際法は、国際社会における紛争や武力行使に関する法的な規範や原則を規定しています。

戦争の放棄と平和主義: 国際連合憲章は、戦争の放棄と平和の維持を求める平和主義の原則を採用しています。国家は平和的手段で紛争を解決し、武力行使は最終手段とされます。
集団的自衛権と個別的自衛権: 国際法では、国家は集団的自衛権(多国間での共同防衛)や個別的自衛権(直接の攻撃に対する防衛)を行使する権利が認められています。ただし、これらの権利の行使には厳格な条件があります。
紛争の非武力解決: 国際法は、紛争の平和的な解決を奨励しています。交渉、仲裁、国際裁判所の利用など、武力行使以外の手段を活用することが求められています。
戦争犯罪と人道法: 戦争における犯罪や人権侵害に対処するため、国際人道法が存在します。ジュネーヴ諸条約やハーグ陸戦法などがこれに含まれ、非武装市民の保護や捕虜の権利を規定しています。
武力行使の合法性: 武力行使の合法性に関しては、国際連合憲章第7章に基づいています。国連安全保障理事会の認可なしに武力行使を行うことは、国際法において原則として禁止されています。ただし、自衛権や国際的な人道的介入などの特例が認められています。
国際刑事裁判所(ICC): 国際刑事裁判所は、戦争犯罪や人道に対する罪に対する訴追を行います。ICCは国際社会における戦争犯罪への対処において重要な役割を果たしています。

ChatGPT3.5 戦争に対する国際法の見方

上記から分かる通り、国連安全保障理事会の認可なしに武力行使を行うことは、国際法において原則として禁止されています。
ハマスの民間人の殺害や人質を取る行為は戦争犯罪として受け取られる可能性が高く、イスラエルにはハマスらによる暴力に対して最終手段としての自衛権が認められます。しかし、イスラエルの空爆や完全封鎖、病院などの民間人の生活基盤を支えるインフラ施設への攻撃など、市民を含めた軍事行動は国際人道法違反であると言えます。

第三十三条〔集団罰禁止〕 被保護者は、自己が行わない違反行為のために罰せられることはない。集団に科する罰及びすべての脅迫又は恐かつによる措置は、禁止する。

ジュネーヴ条約第4条約33条

第四十八条[基本原則]  紛争当事者は、文民たる住民及び民用物を尊重し及び保護することを確保するため、文民たる住民と戦闘 員とを、また、民用物と軍事目標とを常に区別し、及び軍事目標のみを軍事行動の対象とする

ジュネーヴ条約第4条約追加議定書第48条約

ここまで、国際法としては民間人の人権を脅かす暴力的行為は認められないというコンセンサスがあるように思えます。

しかし、国際法としては認められない暴力行為が世界では「正義」の名の下に堂々と行われています。アメリカのイラク侵攻の際には、第3者である日本もこの「正義」の元に、集団的自衛権を行使してイラク侵攻を行いました。果たして、この「正義」はいかなるものなのでしょうか。

戦争の正義

法哲学者である井上達夫は著書「世界正義論」で戦争の正義論として4つの類型に整理している。

$$
\begin{array}{|c|c|c|} \hline
 & 無差別化 & 差別化 \\ \hline
手段化 & ②無差別戦争観 & ①積極的正戦論 \\ \hline
非手段化 & ③絶対平和主義& ④消極的正戦論 \\ \hline
\end{array}
$$

上の4象限は、2つの座法軸からなります。
1つ目は「無差別化or差別化」という軸で正しい戦争と不正な戦争を規範的に差別するかどうかです。2つ目は「手段化or非手段化」という軸で、目的が正当ないし許容可能とされればそれを実現する手段として戦争が正当化されるかどうかです。

①積極的正戦論(聖戦論)は正当な戦争を原因を不正なものと区別するが、防衛的手段を超えて自らの規範的判断をもとに「邪悪な体制」を持つ国家に対する侵攻を正当化します。古典的なものだと十字軍、ジハードや宗教戦争。現代では旧ソ連によるハンガリー侵攻・チェコ侵攻・アフガン戦争、米国によるベトナム戦争や冷戦期のイデオロギー対立に基づく干渉戦争やイラク侵攻、今回のイスラエルのガザ侵攻も積極的正戦論によるものだと言えます。

②無差別戦争観は第一次世界大戦に至るまでの近代の戦時国際法の根幹にあったとされます。この立場は戦争原因の正・不正の区別を拒否し、戦争を外交的手段と同様に国家が国益追求のために使える政治的カードの一つに過ぎないと考えます。しかし、この立場は戦争原因の正・不正は問わないにしても戦争遂行の正・不正は識別し、戦争をいわば国家間の「決闘」のような固有の作法を持つ国家間の紛争解決手段として捉えます。これは、国家間の勢力が均衡したヨーロッパ内では、文明の作法に則った決闘が結果的に戦争のエスカレーションを止めることを可能にしましたが、ヨーロッパの外部にある国への植民地獲得競争により、ヨーロッパ諸国の対立も激化させ第一次世界大戦の破局へと向かわせました。

③絶対平和主義は戦争は絶対悪であり、いかなる目的のためであれそれに訴えることは許されない立場である。この立場を実践した偉人として、マハトマ・ガンジーやキング牧師が挙げられます。「殺されても殺し返さない」という決意と実行を絶対平和主義は要請します。

④消極的正戦論は正当な戦争原因を自衛に限定し、①積極的正戦論のような「正義」を放棄する立場として、戦争遂行方法を限定する(jus in bello)。

上記の4つの戦争論を整理した上で、井上達夫は国益最大化手段として戦争を使う無差別戦争観の欲望に対してだけでなく、狂信的・独善的な他者支配の手段として戦争を使う積極的正戦論の欲望に対しても、規範的制約を課す消極的正戦論こそ最も倫理的であると主張しています。(③絶対平和主義はその可能性を④消極的正戦論に回収されうると述べています。)
その上で、「人道的介入」について論じています。例えばある国の中でジェノサイドが起きている場合に、その他の国が介入する必要があるのではないかという問題です。結論から述べると消極的正戦論も人道的介入に与します。しかし、積極的正戦論は介入主体が好む体制構築を押し付ける「強要的介入」に対し、消極的正戦論は被介入国の人民自らの主導によって体制を変革可能にする「権能付与的介入」を目指します。

以上のように、消極的正戦論が倫理的な戦争論であるように思える一方、米国などの少数の列強国のパワーが明らかに強くなっている中で、その他の国が米国の積極的正戦論に加担してしまっている現状は否定できないように感じます。

また、消極的正義論に実効性を与えるためには、集団的安全保障体制の構築が必要不可欠です。現在国際的な集団安全保障体制を担っているのが国際連合です。

世界の秩序は誰がつくるのか

国連

国際連合(国連)は、国際秩序の構築と維持において中心的な役割を果たしている機関として挙げられます。
国連の前身と言われる国際連盟は第一次世界大戦終結後に設立されました。国際連盟は戦争の防止と平和の維持を目的としましたが、主要国の不在や決議決定の仕組みや機能不足により、第二次世界大戦前に解散しました。

第二次世界大戦後1945年に国際連合が発足し、現在193カ国が加盟している。国連には、総会、安全保障理事会(安保理)、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの機関を持っています。すべての加盟国からなる総会は年1回開かれます。総会では、すべての国が対等で、何かを決める際は各国1票づつ投じる仕組みになっています。
国連の基本文書で、加盟国の権利や義務を規定するとともに、国連の主要機関や手続きを定めている国連憲章には、国連の目的は以下のように書かれている。

  • 国際の平和と安全を維持すること。

  • 人民の同権および自決の原則の尊重に基礎をおいて諸国間の友好関係を発展させること。

  • 経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決し、かつ人権および基本的自由の尊重を促進することについて協力すること。

  • これらの共通の目的を達成するにあたって諸国の行動を調和するための中心となること。

この目的の中で1つ目にあたる「国際の平和と安全を維持すること」の中核を担うのが安保理になります。安保理は平和を脅かす国に対する経済的・軍事的な制裁を決めることができ、その決定には国連の全ての加盟国が従う義務があります。
安保理は第二次世界大戦の戦勝国である常連理事国5カ国(中国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカ)と、総会が2年の任期で選ぶ非常任理事国10カ国の併せて15カ国から理事会が構成されています。ちなみに日本は今年から12回目の非常任理事国を務めています。各理事国は1票の投票権を持ちますが、常任理事国の反対投票は「拒否権」と呼ばれ、その行使は決議を「拒否」する力を持ち、決議は否決されます。
つまり、常任理事国の1カ国でも反対すると決議が否決されてしまいます。どこかで紛争や暴力が起こった場合に、それらに常任理事国がなんらかの関係を持っている場合には、平等な決議決定ができないと考えられます。
例えばウクライナ戦争時におけるロシア軍の即時撤退を提案した際も、ロシアの拒否権によって決議は否決されました。ウクライナのゼレンスキー大統領は、安保理にオンラインで出席し「国連システムは、拒否権が『死なせる権利』にならないように改革しなければならない」と主張しました。
今回のイスラエルのガザ地区への軍事侵略に対しても、アメリカがイスラエルと強い関係性を持っているので、国連のイスラエルへの介入は無力化されていると言ってよいと思います。

このような安保理の機能不全を改革したいという機運は高まってきているのですが、安保理を改革するためには国連憲章を改正する必要があります。
国連憲章の改正には、総会を構成する国の3分の2の多数で採択され、かつ、安全保障理事会の5常任理事国を含む国連加盟国の3分の2によって批准されて可能となります。つまりは、どんな改正をするにも全ての常任理事国が賛成し批准しなければならないということです。

第3の道はあるのか

上記のような国連の機能不全を踏まえ、国境を越えた集団安全保障を構築することができるのでしょうか。井上達夫は、世界統治機構のあり方について、現在の主権国家秩序に代わるものとして、個別国家に対して何らかの集合的な権力を持つ「超国家体」(ex. IMF, WTO, EU)と国家に対して集合的権力を持たずに、別の手段で国家の統制に対抗し、制約力を持つ「脱国家体」をあげる。脱国家体としては「市民的脱国家体」「経済的脱国家体」「無法脱国家体」を挙げています。

著者は超国家体を離脱不能性、民主制困難性、覇権的・階層的支配の拡大再生産という観点から否定し、脱国家体においても現状の格差から生まれる覇権的支配と共犯関係にあり、さらなる格差を産む可能性が高いことを懸念し批判し、現状の主権国家秩序の再構築を推奨し、このシステムの中核に主権国家対等原則を定める。

さらにその主権国家秩序の再構築を進める際に障害になる米国のような超大国への措置はその内側にいる市民に期待するしかないという結論が、消極的正義論の立場からも導かれます。
この結論をイスラエルのガザ侵攻について考えると、私たちを含めた国際的世論がアメリカ市民を刺激することで、アメリカのイスラエル自衛権支持の立場を覆し、国連安保理による権能付与的介入を推進するという形になります。

この理想的な結論を受けて、国際的な主権者として義務感を強く認識させられる一方で、民主主義への閉塞感を感じざるおえない。むしろ、この権力の格差問題が日本における自民党一党独裁状況の相似形としても考えられます。

私たちは権力の格差に対して、いかに共同体における脱覇権的・被階層的な統制と協力のモデルを構築できるのでしょうか。さらに深めた議論を期待して、最後にブレスト的にではありますが、ローレンス・レッシングの規制モデルを紹介して終わることにします。
彼の著書「CODE」で、人間の行動や社会秩序を規制する要素を「規範・習慣(Norm)」「法(Law)」「市場(Market)」「アーキテクチャ(Architecture)」の4つに整理しました。

https://note.com/ct7567rex/n/nf4c51a11a9e0

アーキテクチャとは、例えば道路に中央分離帯があれば、人が横断歩道を無視して歩くことを避けられる等の構造上の制約をいいます。

これら4つの要素の複合的な設計と協働により社会秩序をが組み立てられていく必要がありまが、濱野智史はアーキテクチャーによる規制の特徴である「いちいち価値観やルールを内面化する必要がないこと」や「人を無意識のうちに操作できることこと」をポジティブに捉えて積極的に活用できるのではないかと主張しています。消極的正義論という方向性においても、独善的な意思決定が行われないような構造やパワーが分散されやすい構造の設計可能性について考えてみたいと思っています。

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