「記憶」は救いの秘密

イスラエル士官学校の任官式が開かれる場所。新兵たちも、訓練を終えたら必ず行進して行かなければならない場所。それは、「マサダ(Masada)」という場所です。マサダは、ヘブライ語で「要塞(ようさい)」という意味ですが、イスラエル南東部に位置していたかつての山上要塞です。東側には400メートルの絶壁があり、西側も周辺地域よりも100メートル以上高くそびえていて、言葉通り「天恵」の要塞です。

ここは、ユダヤ戦争当時、ユダヤ人たちが最後までローマ軍に抵抗していた激戦地で、960人余りのユダヤ人が皆殺しになった悲劇の場所です。

戦争当時、極右派の民族主義者たちが軍隊を組織し、少数のローマ軍人が駐屯していたマサダ要塞を武力で征服した後、水と食糧を含む軍需物資を体系的に準備し、ローマ軍に長期的な抗戦を仕掛けるための新しい拠点として準備しました。

そうして、紀元後70年、強力な軍事力のローマがエルサレムを陥落させ、聖殿まで徹底的に破壊した後、ユダヤ人反乱の残党まで掃討するために、73年、シルバ(Silva)将軍と、ローマ第10軍団をマサダに送りこみ、大規模の戦闘が繰り広げられました。

ローマによる長期間の攻撃があったにもかかわらず、十分に備えがあったマサダはそう簡単には陥落しませんでした。これに対してローマ軍は、要塞の頂上の堅固な城壁を破壊するために、マサダの城郭周囲に高い人工の丘をつくることにしました。

この工事においてユダヤ人奴隷を動員したため、マサダの抵抗軍も、どうしても同族を攻撃することはできず、結局、攻城のためにつくられた高い丘は完成に至りました。

この時、マサダのユダヤ人たちは、このすべてのことが結局「我々が犯してしまった罪に対する神様の裁きだ」と悟り、「捕虜になってあらゆる屈辱を受けるぐらいなら、名誉ある自決をしよう」と決めます。

まず、家長たちが、その妻と子どもたちに涙の別れを告げた後に殺し、男同士で再び集まって、順番に一人ずつ、先に死んだ妻と子どもたちを抱き寄せ、首を差し出して刀に討たれました。最後に残った一人が、自ら命を絶つことで、967人の「マサダの最後」が歴史に残りました。

今日、イスラエルの将兵たちは、まさにこのマサダで『Never Again』を叫び、その日を記憶して、二度とこのような事が起こらないようにするという決意を固めます。海外の同胞たちもマサダに訪れ、その土を瓶に詰めながら、この痛ましい歴史を忘れないようにしています。

ユダヤ人のことわざに、「忘却は捕虜状態につながる。しかし、記憶は救いの秘密だ」という言葉があるといいます。

その日についての「記憶」。これこそが、国土と主権、国家の構成要素を喪失したまま、千年を超える長く長い歳月の中でも生き残り、今日のイスラエルを存在させた秘密となっています。

また、数多くの宗教迫害の中でも「ユダヤ教」が生き残ることができたのは、「イェシーバー(Yeshivah)」、すなわち、律法学校のおかげであったといえます。

ローマの皇帝だった人物で、「聖殿は取り壊すとしても、『律法学校』は存立できるようにしてほしい」と要請した知恵深い一人の指導者のおかげで、「ラビ(Rabbi)」の養成学校であるイェシーバーは残ることができたのです。そのため、ユダヤ教は「聖殿(礼拝堂)」が別にあるわけではありませんが、この「学校」から輩出された数多くのラビたちによって、「会堂(Shnagoge)」でユダヤ教の精神が現在まで伝わるようになったのです。ラビは、聖職者ではなく、平信徒です。彼らは、どの宗教的儀礼も主管しません。ラビの重要業務である説教も、宗教的儀礼によるものではなく、「教師の教え」なのです。

ラビとしての権威も、宗教性に基づいて「付与」されたものではなく、ラビ本人が自ら削って磨いた深い学問に関する教えと、卓越した道徳性などを通して、「自律的に生成した」権威なのです。忘れてはならないことを最後まで記憶する粘り強さ、そして、その記憶を持続させてくれる教育の力。これが、今日、世界を牛耳るユダヤ人たちの生存と成功の秘訣ではないかと考えます。

ユダヤ人の歴史が、「痛み」を記憶しなければならない歴史なのかどうかはわかりませんが、私たちが期待する歴史は、「喜び」を忘れずに記憶しなければならない歴史であることでしょう。

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