金(gold)の永遠性が持つ光と影

その価値が絶対に変わらない金

古代の商品貨幣や物品貨幣の限界は、その地域でだけ通用するという事実と、保管が簡単ではないというところにあった。古代アステカ(Aztec)人たちが貨幣として使用していたカカオ豆の実が海賊たちに奪取された時、海賊たちがこれを全て海に捨てたことは、このような事実をよく表している。

以後、お金は耐久性の優れた金属貨幣に発展するようになるが、初めは銅や鉄が使われ、その後は銀(silver)と金(gold)が主に使われた。しかし、金(gold)が貨幣に使われるようになったのは、錆(さび)がつき色が簡単に変わる鉄、銅とは違って、どんなに時間が経ってもその価値が絶対に変わらず、いつでもどこでも同一の大きさに分けることができるという特徴のためである。

だが、黄金の光彩が永遠なのは、化学的に金が不活性だから、時間が経っても他の物質と化学変化を起こさない性質を持っているからだ。端的な例として、エジプトのカイロに行くと、4500年前に作られた金で作った入れ歯を挙げることができるが、この入れ歯の状態は、今すぐに私たちの口の中に入れて使用してもいいほど見事である。

このような金の特性のゆえに、古代の人々は、金(gold)をある魔法だとか神に結び付けて考えた。古代インド人たちは、金を火の神アグニ(Agni)が流した精液だと考えたし、インカ帝国では、金と銀を陽と月の汗の滴(しずく)であるとも考えた。

金が持つ明るい光彩の中に垂れ下がった金の暗い影

聖書でも、エホバは契約の箱を装飾する物として、金(gold)を最初に選ぶほどだった。エホバはシナイ山でモーセに、「あなたは純金でこれをおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。(出エジプト記25章11節)」と指示なさった。さらにエホバは天幕の中に入れる家具と設置物、そして贖(あがな)いの蓋(契約の箱の蓋)を覆う天使のような全ての装飾物までも、純金で覆わなければならないと命令した。

また、ソロモンは自身の個人所有物に金(gold)をふんだんに使うことを惜しまなかった。彼の盾は金で作られ、象牙でできた彼の玉座には金が覆われ、黄金の杯でぶどう酒を飲んだ。これ以外にも、聖書には金について言及した部分が400か所以上にまで及ぶ。

鄭明析牧師も、このような金(gold)の特徴をよくご存じのため、御言葉の価値を「1億千万金」に比喩なさり、成約の新婦たちが行く天国を「天国黄金の城」とおっしゃった。天国は、金のように変わらない主との愛が永遠に続く世界なのだ。そして、天国へと導く時代の御言葉は、地球ほどの大きさの塊の金とも変えられないくらい、価値があるということだ。

このように金は、人類の歴史の中で、高貴さと変わらない永遠性を象徴する存在として見なされながら、権力と富、地位を表し、神との近い距離を表す手段として使われてきた。そして、そのように使われた金(gold)は、人々をより一層尊厳のあるところへと高めてくれるようであった。

しかし、永遠さの象徴として代表される金が、永遠な生、それ自体として見なされる時、金は人々を死に追いやりもする。つまり、金が過度な関心の対象になる場合、金はそれ自体で呪いとなってしまうということだ。金が持つ明るい光彩の中に垂れ下がった、金の暗い影だというわけだ。

お金がついてくるように

ギリシャ神話の英雄イアーソーンは、金羊毛を自身の王朝を確立する鍵だと考えたが、そのような金(gold)のせいで、恋人と子どもは勿論、自身の命さえも失った。また、黄金などの莫大な財産を利用してカエサルの側につき、権力を掌握しようとしたローマのクラッススは、溶かした金を首に注ぐ方法で殺された。彼らは、結局金を追いかけているうちに金によって死を迎えた不幸な人生であるだけだ。

100年前に、イギリスの批評家であり社会思想家であるジョン・ラスキン(John Ruskin)は、次のような話をした。ある男が、彼の全財産である金貨がぎっしり詰まった大きいカバンを持って船に乗ったのだが、航海が始まって数日後、物凄い暴風が吹き寄せて来て、船を捨てて水の中に飛び込まなければならなかった。その男は、カバンを腰に縛り付け、甲板に上がり海に飛び込むと、彼の体はすぐに海の底に沈んでしまった。ここでラスキンはこのような質問を投げかける。「さあ、彼は海の底に沈んだ。それでは、彼が金(gold)を所有していたのだろうか、或いは、金が彼を所有していたのだろうか?」

金の化学記号AUは、「輝く明け方」という意味のAuroraから由来した。その由来のように魅惑的な光彩を発する金は、天国を象徴する輝く金属であるが、その裏にはいつも人間の欲による暗い影が差していることを知る必要があるだろう。

鄭明析牧師は、信仰の祝福が物質の祝福だと言った。お金の根本を正しく分かって、お金を中心にした人生ではなく、まずは信仰を中心にすれば、お金が自然についてくるとも言った。しかし、お金が人生の目的になり、お金ばかりを追い求めるならば、まさにラスキンの言葉のように、お金がその人を所有した人生になり、海の中に沈むしかないのである。

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