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15の時、世界の理不尽に刃向かった話

高校最初の夏休みが終わり、憂鬱な学校生活が始まった9月21日。
僕は楽しみな気持ちと少しの緊張を引っさげ、すぐさま学校の最寄駅から電車に飛び乗った。

僕は中学生の頃に「爆笑レッドシアター」というコント番組に釘付けになった。自分の人生の中で初めて生き甲斐と呼べるものを見つけられて、それを観ている時が何よりも幸せだった。
番組が終わってもその熱が冷めることはなく、番組に出演していたメンバーの追っかけをしていた。
そのメンバーは僕にとって神様のような存在で、今風にいうと"推し"に当たると思う。

その日は、推しの1人である柳原可奈子さんのDVD発売記念イベントが渋谷のタワーレコードで行われることになっていた。
世界の中心と言っても過言ではない推しの握手・サイン会を待ちわびていた僕は、家に帰らず学校終わりにそのまま渋谷へ向かうことにしていた。
学校が終わる時間は4時頃でイベントが始まる時間は7時半頃だったから家に帰る時間はあったと思うけど、衝動の赴くままにイベント会場へ一直線に向かった。

大宮駅で埼京線に乗り換える。
歩けば7、8時間とかかる距離を埼京線は黙って乗っているだけで1時間足らずで渋谷まで連れて行ってくれる。人類の知恵はとどまるところを知らない。
そんな文明の利器の恩恵を受け、十分すぎるくらいの余裕を持って到着する、予定だった。
外の景色に目をやると降りしきる雨が強くなっていくのがわかった。それに比例するように僕の心にのし掛かる不安がその重さを増していく。

ちょうど武蔵浦和駅に到着したところで、接近していた台風が猛威を振るった。
その台風はいとも簡単に文明を打ち破った。
当時の僕も台風が都心を直撃することは知っていたと思う。
でも交通機関が使い物にならなくなることは想定してなかった。15歳が故の詰めの甘さだった。
現実は情けなんて一切掛けてはくれないことを知った。

それでも15歳の僕はなぜよりによって今日台風が直撃するのか、丁度電車が止まるのか、どれだけ論理的に説明されても腑に落ちなかったと思う。
今日以外ならいつでもよかったのにと思った。


復旧する時間は不明のようで、当時バイトをしておらずお金のない僕はタクシーに乗るわけにもいかなかった。

今ならスマホで店や主催者に問い合わせて、イベントの有無を確認すればいいのだけど、当時の僕は携帯電話を持っていなかった。つまり、会場に行って実際に確認するしかなかった。

僕は自らの足で会場に向かうことにした。

電車が単なる鉄の塊と化し駅構内には雨風を凌ぐ人で溢れていた。

声を張り上げて運行状況を説明する駅員に尋ねた。

「東京方面はあっちですか?」
「え、そうですけど…。すごい雨と風なんで外に出ない方がいいですよ」

駅員は戸惑いながらも諭すように答えた。
出ない方がいいことは僕にもわかっていた。でも僕の頭の中には自分の足で向かう以外の選択肢がなかった。
武蔵浦和から渋谷までどれくらいの距離でどれくらいかかるのか皆目見当がつかなかったけど、仮にイベントが開催されて、このまま待機して間に合わなかった場合、一生後悔すると思った。
それと同時に推しに対する気持ちを天に試されている気がした。

埼京線で渋谷まで1本だから線路沿いを行けば辿り着くことは確かだ。

大人さえひれ伏す巨大な敵に何の武器も持たずにたった1人で真っ向から立ち向かう自分を誇らしげに思いながら、僕は外へ飛び出した。

外はまるで映画のような嵐で傘を差しても何の意味もなさないことは明らかだった。

高架下のスーパーで飲み物を買い、教科書やノートが詰まったバッグを大きいビニール袋で覆った。
僕が取れる対策はこれだけだ。

学校指定のバッグを両手で抱え、意を決して嵐の中に飛び込んだ。
身体は一瞬でずぶ濡れになり、ローファーの中も一瞬で浸水した。

歩いているだけじゃ間に合わないことは確実だった。とにかく体力が続く限り高架沿いを走り続ける。

ただ、僕は制服姿で無駄に重いバッグを抱え、靴はまだ半年ほどしか使ってないローファーだ。
身につけている物の全てが運動に適していなかった。
走っては歩き、走っては歩きを繰り返し、身体を打ち付ける大粒の雨に逆らった。
電車に乗っていれば数分の一駅分の距離がものすごく遠く感じた。
見たことのない道を経験したことのない状態で走り続け、間に合うかわからない不安と次の駅で待つべきなんじゃないかという葛藤。
何もかもが果てしなかった。
それでも自分の中に灯されたこの火が雨に消されないように必死で守り続けた。

携帯電話がまだ普及していない頃の人たちは、デートの直前に交通機関が止まったら僕と同じようにどうしようもない不安を抱えながら走って集合場所まで向かったりしていたのだろうか。

厚い雲の奥に浮かんでいたであろう太陽も沈み、辺りが闇に包まれても台風の勢力は一向に衰えなかった。

何駅か過ぎると、荒川にかかる大きな橋が現れた。橋の周りには風を遮るものがなく、暴風が容赦なく吹き荒れる。
僕は飛ばされないように時間をかけて一歩ずつ確実に歩を進めた。
僕の身体は既に限界を迎えていたと思う。僕を動かしていたのはいちファンとして試合終了まで諦めてはいけないという使命感だけだ。

橋を渡り東京都に入るとなんとか北赤羽駅まで到着した。
駅にある時計を覗くともう7時半に差し掛かっていた。
仮に今から電車が動いても超高速のスポーツカーを飛ばして信号に1つも引っ掛からなかったとしても7時半には間に合わない。
自分の無力さを思い知った。

駅近くの公衆電話で家に掛けると母親が出て、イベントは延期になった旨を伝えられた。
ネットで調べてくれたようだ。
ほっとして全身から力が抜けていくようで、その事実だけでこれまでの苦労が全てなくなった気さえした。

僕の状態を心配した父親が赤羽まで車で迎えに来てくれることになった。
ただ、僕はそこからあまりに疲れていたせいか緊張の糸が切れたせいか、どのように赤羽駅まで移動し、どのくらいの時間待ったのか全く覚えていない。
覚えているのは足が痛くて仕方なかったことと、父親の車に乗り込んだ瞬間気を失ったように深い眠りに就いたことだ。

後日僕はイベントに予定通り参加して一生の思い出を作ることができた。

結果的に僕はあの日しなくていい苦労をしたのかもしれない。
イベントは延期になったのだからあのまま駅構内で運転再開を待っていた方がよかっただろう。
でも僕は今でもあの時の選択を後悔はしていない。
無謀だと分かってても嵐の中に飛び込んだあの衝動は、自分の情熱の証明に思えて今でも僕の中で宝物のように輝いている。

無茶してしまうくらい好きなものがあるというのは幸せなことだと思うし、そんな人が僕の目には美しく映る。
それが好きなものへの愛情表現の正解というわけではないけど、僕は人間臭さみたいなものを感じて好きだ。

周りにどう映ろうが気にしないで自分の好きなものに没頭している瞬間が1番幸せなのかもしれない。

僕たちはこれから先心を突き動かす新しい何かとまた出会えるのだろうか。




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