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この生きづらさがいつか

自らの意思で自分を殺す生き物なんて人間くらいに思う。
動物の中で1番高い知能を持つ人間に限って自分を殺してしまうなんて皮肉がききすぎている。
多分人間は頭が良すぎるんだと思う。

本当は動物なんて今自分が生きることしか考えられないくらいの知能がちょうどいいのかもしれない。

社会が複雑であればあるほど生き方も複雑になって、それに対応できず取り残されてしまったり、自分の作り上げた根拠のない妄想のような不安に溺れてしまったりする。
それらの生きづらさが肥大化してやがて自分の心を蝕んでいく。

この国でそんな生きづらさに自ら命を絶ってしまう人は年間約2万人に上る。未遂者を含めればその数は大きく跳ね上がる。

本当に言葉にできないほど悲惨な事実だけど、僕は自らの命を断つ選択をした彼らに真っ向から否定する言葉をぶつけることができない。

自殺者に対し「自殺はだめだ」なんて言う人がいるけど、死にたい人間なんてこの世に1人もいないし、動物の本能に反する自殺という行為がだめなことくらい誰だって知っている。

それでも自殺してしまうということはそれくらいの理由があったことに他ならないし、それを他人が理解しようとするのは他人である以上不可能なことだ。

逃げても逃げても追い込まれて、藁にもすがる思いで自殺を選んだ人やそれしか選択肢がなかった人を止める権限なんて本当は誰にもないんじゃないかと思う。
自ら命を絶つ決断をした人間を死の淵から無理やり引き上げただけでは本質的な救済にはならない。
むしろ本人にとっては死が救済だったはずだ。
大事なのはその人を死の淵から引き上げることではなくて、自らの足でそこまで向かうしかないと思わせないことだ。

それでも当の本人も、もしかしたらその人を救えたかもしれないその周りの人も一概には責められない。
きっと死ぬ前に多くの人が何かしらの救難信号を出しているのだろうけど、誰もが固有のしがらみだらけの人生を生きるのに精一杯の中、その深刻さを察知して尚且つ他人の命を救えるほど動ける人間がどれだけいるのだろうか。
それに多分自分の命を救うより他人の命を救う方が難しい。

きっとこれに本当の意味での正解なんて存在しない。

ただ今の僕には誰しも報われない瞬間はあっても、本当に最後の最後まで人生1度も報われないなんて人は1人でもいてくれるなと願うことしかできない。


僕自身もそんな人たちと同じ運命を辿らないという保証はどこにもない。
今自殺していない人は自殺するほどの境遇にまだ置かれたことがないだけだと思う。
永遠と思えるような苦痛から逃れるための選択肢が死ぬことしか残されていないということは誰にだって起こりうる。

明日その何十人のうちの1人になってしまう人は今どこでどんな気持ちでいるのだろうか。

この生きづらさがいつか限界を迎えて目の前に現れた死神の手を取ってしまうことがないように、その瞬間を迎える前に自分が生きていける理由や逃げ道みたいなものをできるだけ多く用意しておかないといけない。

新学期を憂鬱に思ってか、18歳以下の自殺は夏休み明けの9月1日が1番多くなるらしい。

しかし、腹の底から湧き上がる漠然とした負の感情に身体が内側から侵食されていくような、深くて暗くて孤独な"8月31日の夜"は学生以外にも訪れる。

そういう意味では学生も大人も同じだ。抱えてるものは違えど同じ"8月31日の夜"を過ごす仲間と言ってもいいのかもしれない。


みんな誰かの前では平気なフリをしているから気づかないだけで、誰もが何かを抱えててそれを誤魔化しながら自分なりに上手く生きているだけなんだと思う。
誰もが初めての人生の中、今の自分に最適な選択なんてわからない。
綱渡りのようなもので、不安定のままなんとか渡り切るしかないんだと思う。


僕たちは世界で自分の中にしか存在しない生きづらさに1人で打ち勝つことはできるのだろうか。
仮に打ち勝ったとしてもきっと新たな生きづらさに頭を悩ませるのだろう。

でもきっとひとりぼっち同士の僕たちは他人の生きづらさを理解はできなくても受け入れることはできると思う。
弱った人の近くに寄り添ってあげることが、その人にとっての唯一で最善な救いの手段になると僕は信じてやまない。
孤独であることは変わりなくても、孤独を感じさせないことはできるはずだ。

そして今"8月31日の夜"の中にいる学生をはじめ全ての人に1つだけ希望を見出すとしたら、死にたいと思うことは誰にでもある案外普通のことだということだ。

世界が自分に合わせてくれる訳ではない中で、死にたいと思わないことの方が不思議だ。
極端かもしれないけど"死にたい"と思ってるうちはまだ大丈夫だと思う。
そのうちに逃げるなり自分を守るための選択を取らないといけないけど。

悪いのは自分じゃないのに行き場のない不安や不満を他人にぶつけることなく全て自分で背負ってしまう人はきっととてつもなく優しい人だ。

そんな優しい人間を必要としている人はきっと沢山いる。
特に学生は気付きにくいかもしれないけど、学校なんてものは広い世界の1つでしかなくて学校以外にも生きられる場所はいくらでもある。

人生なんて自分が満足すればそれでいいものなんだから、難しいことは考えずにまずは自分のことを大切にしてほしい。

自分もどうしようもない人間の1人だけど、そんな人間はどうしようもないなりに生きていくしかないんだと思う。

9月1日の朝に昇る太陽が僕たちの身体を焼き焦がすものではなく、夜を乗り越えた僕たちを優しく照らすものでありますように。





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