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人道的とはどういうことなのだろう?

またガザのこと?と思うかもしれませんが、今まさに人道危機だと思うんです。遠いから関係ないと思っている人もいるかもしれません。あなたは知ってる人がいるからそんなに熱心なんでしょ?と思う人もいるかもしれません。知っている人がいるからいない人より関心が強いのは間違いないと思います。しかし、こうも思うんです。この倫理に反することが国際法違法することが前例としてあって良いと国際社会(この場合国の代表たち)が認めてしまったら、世界各国で私たち一般市民が声を上げ、デモをし、SNSで停戦を求め、人道を求めても無視されるのがありとされたら、次は私たちの番であるのは間違いないと思うのです。だから遠くても、知ってる人がいなくても声を上げた方が良いと思うのです。

『人道的一時停戦』は本当に人道的なのでしょうか?
この停戦している時間に一体何をすればいいのですしょうか?
逃げる?どこへ?

1948年、「一時的に避難してください」、と言われたパレスチナ人たちはまだその一時的が終わっていません。元いた場所へ帰れません。訪ねることもできません。
ガザの人口の70%が難民です。一時的に避難してください、と言われた人たちです。次の一時的はいつまで続くのでしょうか?

もしあなたに大切な人がいて、それは子供かもしれないし、親かもしれないし、兄弟かもしれないし、パートナーかもしれないけど、とても大切な人が怪我や病気だとしたら置いて逃げられるでしょうか?私だったら、好きな人を置いて逃げられない。強制的に逃げさせられたとしても、その後罪悪感は一生続くはずです。実際、偶然7月に帰国したタイミングで滞在先のジェニン難民キャンプが激しい空爆に遭い、逃げたわけじゃないのに戻りたい、私だけ安全な場所にいてすごく罪悪感でした。その前の空爆は共に潜り抜けたのに。
私ですら、それくらいの気持ちになるのです。そこで生まれ育って家族や親戚や友人全てがそこにいる人だったら?
平和的なグレイトリターンマーチで多くの人が怪我をし足を失い、目が見えなくなり、体のどこかが悪い、自由がきかないという人がたくさんいます。
その人たちと共に過ごしている人は置いて逃げようという気持ちになるでしょうか?逃げてもそこも攻撃を受けるなら、もういいやって気持ちになる人だって出てくることは想像に難くないです。

今年の夏、サディールという少女がジェニンキャンプで狙撃手に撃たれて亡くなりました。14歳でした。私のすぐ近所に住んでいました。
彼女は将来看護師さんになりたいと言っていました。ニュースにもその話は出ていました。私と話した時、彼女はこんなことを言っていたんです。
ジェニンキャンプはいつも軍事侵攻があってたくさんの人が怪我して救急車で運ばれる。だから救急の人を手当てする看護師さんになりたい。
彼女は生まれた時からずっと軍事侵攻がある中で育ってきていたのです。毎日ドローンの音を聞き、銃声を聞き、爆発音と共に育ってきたのです。彼女の周りにも犠牲になった人、怪我した人、怪我して障害を持つことになった人、少なくないです。

ガザのお医者さんたちも同じようにそういう人たちを目の当たりにして育ってきたはずです。そんな人たちに患者を置いて逃げるか、そこに止まってハマスであることを白状するかと迫るのは人道的なのでしょうか?
安全な環境で育った医療従事者であっても命に携わる仕事をしている人にそんな選択をさせるのは人道的なのでしょうか?命への冒涜ではないでしょうか?
一時停戦は攻撃を激化させる程の良い言い訳を作るだけです。
一時的ではなく、即時停戦を求めます。そして占領を終わらせることを期待します。



あなたがサポートしてくれた分を同じだけ上乗せしてパレスチナのジェニン難民キャンプで使います!!もしジェニンをサポートしたいと思ってくださった方はこちらへ< https://thefreedomtheatre.org/donate/ >