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忘れられないジェニン、忘れたい占領という現実

わたしはジェニンが大好きだ。
行ったらすぐに大好きになった。
なぜ?
出会った人が素敵だった。
でもそんなの後付け。

わたしはいつもジェニンのことを考えている

ジェニンのみんなはとても陽気だった。実際のところは陽気になんてしていられないくらい辛い占領がある。だからこそ、陽気でいるのかもしれない。
無理してでも陽気でいないとやってられないのかもしれない。

2023年が3ヶ月を過ぎようとしている。
ジェニンだけですでに70人以上が殺害されている。

スザーンはいつも冗談ばかり言っているビデオグラファー。
彼女の周りにはいつも人が集まる。いつも笑っている。

もし日本で何かあったらジェニンに逃げてきて、ジェニンキャンプはいつでもあなたを受けれるから。
身一つで来たらいいからね。

そう言われた。とても嬉しかった。
何も持たないわたしをただ受け入れてくれる場所、人。

元気?と聞くと
まだ生きてるよ!と返ってくる。
忘れるなよ!これが一番大切なんだから。
さよなら、と言うと
人生を楽しめ!と返ってくる。
生きてるんだから!

だからジェニンが好きというのも何か違う。もっと深い何かがあるんだと思う。
ジェニンに到着した時のことを思い出してみる。
この時はナブルスからジェニンにバスで向かった。
バスターミナルに到着する。
気温が体感で2度くらい高い。湿気がある。何より活気がある。こんなにハードな場所でこんなに活気があるなんて!
予約していた宿を探す。Google マップなんてあってないようなものだった。
道ゆく人に聞くがみんな親切だけどわからなかった。
銀行から人が出てきたので聞いてみた。
英語がわからないからわかる人を紹介すると銀行の中へ招き入れてくれた。
支店長が対応してくれた。支店長は場所がわかったけど忙しくて連れて行ってあげられないから部下に連れて行くように言うから待ってて、と言われる。
部下と思しき人が来る。
支店長は紙に地図と住所と書いて彼に指示をする。そう、彼は英語があまりできない。
支店長はわたしに安心して、彼が君を連れて行くからね。困ったらここにまた来たらいいから!と笑って送り出してくれた。

これがジェニンの街。

ジェニンキャンプに到着した時のことを思い出してみる。
翌日、キャンプに向かった。フリーダムシアターに行くためだった。
ゲートの上の方にはジェニンキャンプと書いてある。
このゲートを越えると向こうから変な乗り物がこちらに向かってくる。
わたしは前に進む。乗り物もこちらに向かう。
出会った。お互いに立ち止まった。クラッシュともケミストリーとも言える瞬間だった。
Vサインをする、写真を撮る。
今、フリーダムシアターに向かってるの。
僕らはフリーダムシアターから来たんだ、1時間したら戻るからシアターで待ってて!
名前も何もお互い知らないままそれぞれの方向に向かった。



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