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リフタ / Lifta に集まる人々

70年前、この自然が豊かな場所には人々が普通に暮らしていた。今はその面影もないのだが。
友人に何の説明もせずに、写真を見せる。多くの反応はこうだ。

ここは何の遺跡?どんな聖地だったの?

わたしもそう思っていたし、今のこの村の状態を見て古い古い遺跡と思わない人の方が少ないだろう。エルサレムのご近所ということも相まって。

70年前、この村は空っぽになった。民衆は一時的に避難して安全になったら帰ってこようと思っていた。悲しいかな現実はそんなに甘くなかった。
家主がちょっとの間、留守にしているとその持ち物は略奪され家々はブルドーザーで壊されたり、壊されなかった家は家主がすり替わっていた。
もともとの家主は決して帰還することが許されなかった。

天気の良い日、リフタに行く。高台からも誰かの声が聞こえる。鳥の声はナイチンゲールだ。
天然のプールにはたくさんの男子たち、その辺に脱ぎ散らかされた服を見ると超正統派ユダヤ人のこどもたちとすぐにわかる。伸ばしたもみあげは水に濡れてパーマが緩くなり伸びきっている。水を友達同士掛け合い笑っている。日本の小学校のプールの授業となんら変わりない。空は青い。そんな平和すぎる光景がある。

別のグループがいた。老若男女、彼らはエルサレムや西岸地区から来ていた。ここを誰よりも知っている人たち。元リフタの住民だった、リフタの住民の子や孫たちもいた。
リーダーというか長老というかここを一番知っているであろう男性が話しをしている。

我々はここに住んでいた。昔のことも覚えているし、知っている。いつか戻って来るために自分たちの家に戻るために、今日もここに立っている。これは自分への宣言であり世界へ向けての宣言でもある。

苔や雑草で覆われている石造りの家々が70年という時間を物語っている。

一方このような計画もあった。
高級マンションやホテル、ビジネスセンターにするという。もし、万が一そうなるとリフタはリフタでなくなりこの石造りの家々にまつわる70年の歴史と切り離されてしまうかもしれない。半壊しているこの家を保存するとこの計画者たちは言っているが。
そう、70年前リフタではこの話があったかどうか知らないけれど、ある村では兵士がやってきてこの村も戦火が迫っている、今すぐ逃げて!そして落ち着いたら戻ってきたらいいと言われ避難した人たち。そして戻ると新しい住民がいて戻れなかったということがあった。たくさんのアラブの村々でこういうことがあった。保存計画は守られるのか守られないのか、信じられるの信じられないのか。誰もわからない。



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