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言葉の力 言葉の自由

たまに、パレスチナとイスラエルのことって当事者じゃない日本人が語るべきじゃないという声を聞きます。
果たしてそうなんでしょうか?

国際社会のノイズによって守られた家や人がいることご存知でしょうか?

そもそも、この問題は拮抗する2勢力が争っているということではないので同じ視座で語るには難しい、というか無理があると思うのです。
公平に語る、ということはそれぞれにどれくらいの基本的人権のギャップがあるとかそういうことを加味しないと公平ではないと思うのです。

また第三国、第三者だから黙っていることというのは侵略者の行為に同意するということだと思うのです。
だから黙っていられないのです、だって私の友達が住んでいた家が勝手に壊されたり、私の友達が銃を突きつけられたり、理不尽な扱いを受けるなんてこと私や嫌だから。

パレスチナに滞在していると気がつくことは、国vs国の構造ではないということ。そして入植という行為がとても残酷であるということ。巧妙な言葉のトリックに騙されてはいけないということ。

1.イスラエル軍はパレスチナ市民を攻撃している。ジェニンキャンプが攻撃を受けた時もパレスチナ軍は全くいない。いわば市民の自警団が抵抗していたと見える。

2.入植行為だけでも終焉し入植者が撤退すれば今よりもだいぶいい状況になると想像できる。入植地はエルサレムはじめ、西岸地区に作られている。パレスチナの人たちが住んでいる家を圧倒的な暴力によって接収し新たに入植者向けの家を作る。入植者一人につき、セキュリティという名の軍人が護衛につく。

3.テロリストとは誰なのか?テロとは何なのか?その言われる場所にアナザーストーリーがあるのではあるまいか?

↑キャプション
From the memory of Birzit
Hundreds of students of Birzit University in Ramallah are throwing stones at French Prime Minister Lionel Josban and kicking him out of the university after his statements describing the Lebanese resistance against the Israeli occupation as “terrorism”.
↑翻訳
ビルゼイトの思い出より
ラマッラにあるビルゼイト大学のたくさんの生徒がフランスの首相(当時)リオネル・ジョスパンに石を投げ、彼を大学から追い出しました。これは、イスラエルによる占領に対してレバノンの抵抗を”テロリズム”と説明した声明を発表したあとの出来事です。

軍事占領に抵抗したら、それはテロ?


実際私はデモに行ったりはしないけれどSNSやブログ、ホームページなどで自分が見たことをそのまま発信している。はっきり言って危ない・・・それだけで国家から目をつけられたり、テロリスト予備軍と言われる可能性だって少なからずある。デモに行かないのは監視カメラで顔認識されて海外渡航が難しくなると困るから。
きっと第三者だから黙ります、と宣言している人の中には心と反している人もいると思います。だって安全に生きたいもの。わかります。よくわかります。私がデモには行かないのと同じ気持ちだったりするかもしれない。
それでも私はやっぱり友達を裏切れないし、何かしら思いを見たことを発信して、”第三者”ノイズで友達が少しでも安全でいて欲しい。
ジェニンキャンプを去ったすぐ後に大規模な攻撃があった。あたふたする私に韓国人フォトグラファーの友人が

君は外国人なんだから気にする必要ないよ、パレスチナ人にはなれないし、同じ立場じゃないんだから。

と。
ごもっともなんです。わかってる。この人が冷たく言ったわけでもなく、私の体調とか心の調子とかを慮って言ってくれたことだってこともわかってる。
だけど、ジェニンキャンプの人たちは私の大切な友達で家族だから。国籍なんて考えることじゃないんです、私にとって。
他の国のこと、なんて割り切れない。
それに私たちの税金だってその使われ方って国際社会に影響を与えてるから。微々たる額しか払っていない私の税金だってもしかしたら誰かを攻撃する武器の資金になっているかもしれない。

だから無責任に黙っているなんてできない。自分たちの自由を、権利を守るためにも。




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