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映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を観て

 スクリーンが暗くなってから、ああこのままうっとりし続けたい、映画館よ、どうか明るくならないで、と思っちゃいました。ロマンティックでちょっぴりエゴイスティックな、ウッディ・アレン監督「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」。

 大都市ニューヨークの裕福な家庭で育ち、金銭と教育という十分な資産を持ちながら自らを持て余している青年ギャツビー(ティモシー・シャラメ)と、銀行家の娘でジャーナリスト志望のアシュレー(エル・ファニング)に起きる週末のニューヨークでの出来事。二人は同じNY郊外の大学に通うカップルです。

 著名な映画監督のインタビューのため、アシュレーがNYへ行くところから話は始まります。身ぶり手ぶりと全てがキュートなアシュレーは、金髪で美人な自分にまるで気づいてもいない風な、天然の不思議ちゃん。生粋のニューヨーカーであるギャツビーは彼女が大好き。ニューヨークは勝手知ったる庭、といわんばかりにレストランや美術館、バーなど最高のデートプランを考え、彼女の取材終わりを待つと提案します。

 いざ当日。映画監督とアシュレーとの1対1の取材が始まると、アシュレーはミーハーな気質を無鉄砲に発揮し、事態は予期しなかった方向へ。手帳を片手に相手のことを聞き出すつもりが、いつの間にか自分のことばかりおしゃべりするのにも気づかないままです。そしてひょんなんことから華やかな街へと飛び出すことになります。一方、アシュレーの帰りを待つギャツビーは街を彷徨ううちに、かつての友人や昔の恋人の妹と再開します。満たされない心の隙間に、過去の自分や今の自分をはめたり、はずしたりしながら自分の像を模索していくのでした。

 「何をしていいかわからない」というギャツビーの悩みは、多くの人が青春時代に経験したものでしょう。しかし監督は思い出の焼き直しのように、そんな退屈な“いつか来た道”を観客に共有させたりはしません。あくまでも瑞々しく華やかな空気に包み込んでくれます。もしかしたら自分が通ってきたあの道もこの道も、登場人物と同じようにキラキラしていたのかもと錯覚させてくれるほどです。一度手放したら二度と取り戻せないような、アシュレーの純粋でまっすぐなところにも救われる思いがしました。それらすべては雨に包まれたニューヨークの美しい街並みのせい?たぶんウッディ・アレン特有の魔法なのでしょう。

 ウッディ・アレン監督は84歳で、これで50本目の映画作品です。#Me too運動の渦中にいることを考えると賛否両論はあると思いますが、できれば作品とは切り離して捉えていただきたい。そうでないとこの作品があまりにももったいない、というぐらいの傑作です。


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