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BTSにハマる:解釈と妄想の境界線


もし合致する文章があってもただの偶然です。

変化するもの、しないもの

RM『Change pt.2』(アルバム『Indigo』より)

以前MMM記事を書いていた時、参考のため、ナムさんの新旧ソロ曲歌詞を片っ端から見ていたのですが、その際印象に残ったのがこの曲でした。

F*** my interviews in years ago
何年も前のクソインタビュー
I'm whole different, not that anymore
今の俺はもうあんなんじゃない
F*** that wiki f*** all those infos
いまいましいwikiもまとめサイトも
What a stranger, I don't know this fool
誰の事書いてんだよ、こんなバカ知るか

『Change pt.2』より(意訳)

「過去なんか知るか、俺は今を生きてんだ!」って憤りが溢れだしてますね!
過去の自分に縛られることを良しとせず、成長と変化を肯定する、ナムさんの価値観やもどかしさが現れているように思います。

これ聞いた時、ちょっとだけごめんね😇って気分になりました。
だって私、今めちゃめちゃ過去コンテンツ見てますからw
何ならVogueとかTimeとかのインタビュー記事を掘り出してきて、専用マガジンまで作っちゃったし_(:3 」∠)_

これはバンタンのコンテンツの膨大さもよくないですね!w
そこに宝があれば掘り、推しからの手紙(歌詞)が残っていればせっせと読んで学習して気に入ったら何回でも持ち出して骨までしゃぶる、オタクはそういう生き物なのです! 開き直った。

しかし本人からしてみたら、あらゆる言動の物証が動画や記事などで残りまくっているわけで、それを学習した人からまた「あの時あなたはこう発言していましたが」って訊かれる人生ですから大変です。
もしデジタルタトゥーが目に見えるなら、全身もう書き込むところ残ってないくらいの勢いだと言えます。耳なし芳一も裸足で逃げ出すわ。

耳なし芳一妖精。妖精つけたら許されると思うなよ。すみませんでした!

妄想と解釈との境界線

私たちは、何故過去をほじくり返さずにいられないんでしょう。
自分の中に過去情報をどれだけたくさん蓄積しているかは、推しの事を何でも知りたいファンとしてのステイタスでもあるのですが、一番の理由は、「私たちは物語が好きだから」ではないかと思います。

私たちが何か語りたい時、そこにはストーリーが必要です。
「このテテ最高ですよね!」「ヤバイよね!」っていうエール交換みたいな脊髄会話もありなんですが、それはちょっと置いておきましょう。

熱い思いを語るにしても、データから傾向を読み取るにしても、そこには物語が発生しますね。
これは大体事実を繋ぎ合わせて解釈することで生まれるため、周回遅れでわりと時系列バグってる私は、過去データからソースを探してきて裏を取ったりなどします。
この時参照するエピソードは多ければ多いほどいいわけなので、冬眠前のリスみたいにせっせとかき集めて来ては貯め込み、自分の中で積み上げて物語を完成させる。これオタクが大好きな作業だと思います。

ただ、ここで気を付けたい点が1つあります。
事実から物語を読み取る時にどこまで自分の想像を混ぜるか、その配合次第で、「解釈(事実に基づいた合理的な推論)」は「妄想(事実から離れた個人的な想像)」に変わるからです。

妄想は楽しみたい、ただしほどほどに

あえて妄想全開で楽しむという方法も世の中にはあります。
推しについて妄想するのは、ファンの嗜みですからね。私も好き放題楽しんでいます(*ノωノ)
自分の中で妄想と解釈の切り分けができてるんなら、いいと思うんですよね。

じゃあ何で注意が必要なのかと言うと、考察とか妄想は、やりすぎるとそれが自分の中での真実になってしまうからです。
自覚してる間はいいんですけど、それを忘れると、妄想と違うリアルの推しを拒否しかねなくなります。持論と合わない現実を無視したくなってしまう。

例えば、過去の推しと今の推しを引き比べて
「あの頃はああだったじゃない」「こう言ってたじゃない」「あなたは変わってしまった」「本当のあなたはそんな人じゃないはず」「いいの何も言わなくても私だけはわかってる応援してる」
みたいなことを言いだすと、境界線踏み越えた感がありますね。

人間は変化するってことを認めず、自分の中の推しを愛しているわけですから、そりゃナムさんも四文字言葉使って歌い出すでしょう。
前述の『Change pt.2』は「万物は流転する、変わらないものなどない」という歌で、変化を認めない者には悲しみが訪れるだろうと予言するようなフレーズで終わります。相手をどう想像するかで、サイコホラーにも聞こえてきますね。

ただ、「人は一回自分の中に物語を作るとそれを大事にし(時には現実よりも)、なかなか手放さない」というのが、オタク人生長い私の実感です。
人は第一印象をなかなか修正しない、という説がありますが、一度書き込んだ情報を訂正するのはコストがかかるので、脳が嫌がるんじゃないかと思ってます。

妄想は楽しいけど、どこまでが自分の考えでどこまでが事実か把握しておくためには、ソースの確認を怠らないことが大事だと思います。一回間違ったデータ書き込んじゃうと、上書き保存が難しいので気を付けて。
妄想と解釈の境界線を守りつつ、BTS沼ライフをエンジョイしたいものですね。

ちなみに、私が「あーわりと妄想アクセル踏み込んだわ……」と思いながら書いた最初の記事はこれです。グクは私の妄想の扉を自由自在に開けてくるから怖い( ゚Д゚)ガクブル

結論

二次元と違って、アイドル(生物)の世界は推しが生きて変化していきます。
もちろん望まない方向への変化もあるでしょうが、その時は「卒業」できますしね。バンタン、容易に卒業させてくれる気がしませんがw
勤勉なオタクは今の彼らをガン見しつつ、過去の足跡もせっせと回収してまいりましょう。動画見てると時間が溶けまくって困るわ……。

あ、妄想で思い出しましたが、場所の住み分けは大事ですよね。
HP全盛期だと公式や一般人に見つかりたくないコンテンツは、「Robots.txt」やメタタグなど色んな方法で検索回避方法を模索していたものですが、最近はどうやってるんでしょう。WordPressで公開制限とかかな。
検索すると割と簡単に色々出てくるので、古のオタクはドキドキしています。

デジタルネイティブ世代のバンタンはネットを使いまくってるということを忘れないでね。
Pinterestとか、本人たちも使ってるツールに危険な合成写真とか上げちゃダメ。ARMYのお約束だぞ!(*ノωノ)

コーヒー一杯奢ってください( *´艸`)