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僕が今になって勉強する理由

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こんにちは。

何とたぶん、初の明るい時間帯に更新をしている。

今日は(も)なんだか気分がいい。

というのも、最近日中暑くなってからは、夕方に屋外に運動に行くという南国スタイルをとっていたが、今日は久しぶりに昼前に運動に出かけた。

今日は昨日に比べて気温が低く、風も吹いていたので心地よかった。

そして帰ってきてからもシャワーを浴びた。

昼食をとりコーヒーを飲みながら途中になっていた今日の授業を終え、昼寝したい欲求をかき消しながらこの記事を書いている。

珍しくBGMに歌詞のある音楽を聴いている。


Bob Marley『Exdodus』


さて、大学の授業のほうは1日に動画1回分を終えれば4年で卒業に必要な単位を取れるのだが、今年は去年玉砕した日本語教育能力検定試験の受験を予定しているので、その試験勉強も兼ねるといい感じのペースで一日が終わる。

去年受験を決意したのは願書締め切りの前日、試験まで2か月くらいしかなく、フルタイムで仕事もしていたのでスーパー詰め込み学習の末挑んだ。

しかも大学での学習は始めていたが、当初の目的である日本語教育関係の授業は一切履修していなかった。

その代わり、興味のある教養系の授業をとっていた。

時間もあまりなかったので、試験対策は問題集1冊と試験対策の授業1単位分である。

つまり、何の予備知識もなく問題集を解き(やり)、足りない部分はその解説のみで勉強し、そのあとに総ざらい的な動画5~6時間分を見ただけで試験に挑んだのである。

知っている方はわかると思うのだが、この試験は出題範囲が非常に広く(平たく言うと日本語に関すること全般)、試験1年くらい前から対策をし始める方が多いらしい。

そして合格率は20%前後なので、一応難関とされている。

一応と書いたのは、去年受験して思ったのだが受験者の平均年齢が高い

数年前のことは知らないが、まぁこれには昨今の社会情勢社会情勢を鑑みたうえで日本語教育という分野に興味を持つ人が多いためだろう。

もっとも、僕もその一人ではあるが。

というわけで、去年の10月に試験勉強から解放された僕は、そのあとも宗教学哲学などの教養系の勉強(この内容次第では勉強すら意味なくなる可能性があったため)をし、今年の4月からやっと日本語教育の授業を取り始めた。

正確に言うと、去年も履修はしていたのだが、内容と授業動画に興味が持てなくて、すぐにやめてしまった。

そして今年から講師と授業内容が一新され、取り組みやすくなっていた。

というわけで今勉強している最中なのだが、

数十年前の某日本語教師が主役のドラマのセリフを借りると

「面白いのよ~、勉強が!」

とまだ思えている。

しかし、現在の日本社会を考えると、10月末に予定されている試験はあるのかまだわからない。

もっとも、決められた単位さえとれば資格は得られるのだが、せっかく一度勉強したのだから合格したいという欲もある。

そしてその資格さえも国家資格化に向けた議論がやっと今年、始められたばかりだ。

まぁ、未来のことは誰にもわからないし、そもそも国家というものは人々を援ける為ではなく統制するための存在であるからあてにもしていない。

ただ、国家権力というものにビクビクせずに暮らしたい。そのためのパーミットが必要なのだ。

以上が、中学2年生以降、勉強から逃げてきた僕がこの歳で再び勉強している主な理由だ。

その他の理由は、また追々...

既存社会からの脱出に向けて。あなたと一緒に、さあ行こう。