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読書③「論語と算盤」(現代語訳)

写真がちょっと見切れてますが許してください。

少し時間が空きましたが、一冊読み終わりました。
今回選んだのは渋沢栄一氏著「論語と算盤」を現代語訳したものです。
オリジナルは昔の言葉が多く、ある程度の知識が無い読むこと自体にとても時間がかかってしまうとの事でこちらにしました。
この本を選んだ理由は帯にも書いてあるように新1万円札の顔になるという事で、日本資本主義の父と言われる渋沢栄一さんがどのような人かというのを知りたかったからです。

内容としては、彼がどのような人物であるか、生涯においてどのような考え方で生きてきたのか、論語から読み取れる道徳とはどういった物なのか・・・
それらが本書に纏められていました。

自分は学生時代不登校だったこともあり人より学が劣っているため、そもそも渋沢氏の名前も知らなかったし、論語という書物があることさえ知りませんでした。
その上で本書の冒頭にこの文章がある・・・

 会社に出勤するため、いつも通りJRに乗って日経新聞を開いた。ふと目をやると、車内吊り広告にサッポロビールのうまそうな新製品の宣伝がある。帰りに買って帰ろうと思いながら、お金を下ろすのを忘れていたことに気づき、会社近くのみずほ銀行のATMに寄る。
 そういえばもう年末、クリスマスは帝国ホテルで過ごして、初詣は明治神宮にでも行くかなぁ。その前に聖路加病院に入院している祖父のお見舞いにも行かなくっちゃ・・・・。
 どこにでも転がっていそうな日常の心象風景のひとコマだが、驚くなかれ、ここに出てくる固有名詞すべての設立に関わった人物が、本書の口述者である渋沢栄一なのだ。

・・・この段階でわくわくしますよね!
そう思いながら本書を読み進めていきました。
率直な感想としては、まさに日本人という素晴らしい考え方を持った方だった。
それと同時に今の時代だと「余裕のある人間が綺麗事を述べている。」とも取られてしまうかもしれない内容かな?といった感じです。
特にそう感じたのは渋沢氏は適材適所という言葉を非常によく考えている方で、身の丈にあった事を世の為人の為、全うしていけば必ず結果はついてくるというような考え方でした。その中で人には向き不向きがあり、人を使う側と使われる側に分かれてしまう。それによって富や名声など差は出てくるがそれ自体は大した問題ではないと述べていました。
道徳に沿って生きていきたか、それが大切なのであって、所謂人生における成功したとか失敗したとかは心を込めて努力した人の身体に残ったカスとまで書いていました。

ただ現代においては、なかなかそう割り切れるものでもないですよね。
いかに人生勝ち組になるか、他人は関係ない自分が第一でいい。こういった考えも一概に悪いとは思えないからです。
不況といわれる中でお金は必要だし、人の為にといって頑張っている人を見たときにこの人自身は幸せなのか・・・と感じてしまったり様々な考えが生まれてくるのが現代だと考えます。
人は真面目に正しく生きるべき、というのが今の時代にはなかなか受け入れてもらえないような気がしますよね。
それでも自分は道徳に沿った生き方が報われると信じたい、これは願望ですけど。

それと個人的に面白いと思ったのが、渋沢氏は現代の教育は多くの学生が同じ学問を同程度学ぶことができる。これは良いことだが同時に自身の能力を正確に把握できなくなる可能性を示唆していました。
例えばすごくできる人が会社を立ち上げて成功したとした時、「アイツができるんなら俺にもできるはず!」と根拠のない自信を持って自分自身の適所を見落としてしまうなんて事も起こり得ます。
昔の教育が100人の中から1人の秀才を出そうとしていたのに対し、今は99人の平均的な人材を作る教育になっていると述べていました。
なるほど確かに!と思いながらなんとなくですが、怪しいセミナーとかに足を運んでしまう人を思い浮かべてしまいます。
もちろんそれが悪い事だとは言いませんが、なんでも鵜呑みにせずにまずは自分と向き合うことが一番なのかなと思います。自己分析ってやつですね!
渋沢氏は現代教育に対して危機感の様なものを抱いている印象でしたが、個人的には多くの可能性を見出せる今の教育も悪くないと考えています。
全く勉強してきてないですが。。。

余談ですが普段通勤時の電車の中で本を読んでいるのですが今回読み終わるのに時間が掛かってしまったのは、本書に出てくる言葉が難しかったり、知らない固有名詞がバンバン出てきて読みながらすごく眠たくなってしまったのが原因です。
不眠症の方がいたら薬より良いかもしれませんよ。




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