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Blu-ray発売記念《映画「アメリカン・ユートピア」徒然草》

デヴィッド・バーンは脳ミソ🧠の模型を手に、

『ここには広い領域が残っている
 そしてここが生き続けている
 あなたを愛する人に目をやってください
 どこにいても安全です』

と歌い出す

🎵「Here」(ここ)から始まるユートピア。

思わず頭から取り出してスクリーンの前に差し出すと、僕の脳みそ🧠は嬉しそうに躍動し始めた。

テレビからコンサート会場に連れ出してくれたジョナサン・デミの「ストップ・メイキング・センス」から35年、スパイク・リーは「アメリカン・ユートピア」で客席からステージに引き上げてくれた。

一体何台のカメラがあるのだろうか、
上から横から寄って引いて、細かいカット割りの連続でステージを立体的に体感させてくれる。でも決してグルーヴを殺がれることはない。

「ストップ~」同様、客席は最後まで一切映らない。ステージのみを360度、予想もつかない撮影編集技法で見せつけてくれる至福の135分。

主役はデヴィッド・バーン、
その声は美しくまろやかで円熟の極みながら、パフォーマンスの独特のエッジは変わらず、むしろ切っ先鋭くなっているのではないか。
にもかかわらず「ストップ~」の時とは比較しようもない絶対的な安定感と主役感、やはり円熟というにはあまりに強いオーラ。

話は逸れるが、かつて80年代、渋谷陽一と故・今野裕二がヘッズの「リメイン・イン・ライト」を巡って論争したことを思い出した。
バーンのアフロ音楽へのアプローチを手放しに褒め称えた今野に対して、渋谷が「借り物だ!植民地主義的だ!」と噛みついたこと。おそらく当時の文化人的スノビズムの象徴みたいな今野が気に入らず、ついでにトーキングヘッズを批判しただけだろうが。
今のバーンは、中南米アフリカそしてテクノロジーを自分のものにし、と言うより完全に融和している。いやもっと言えば完全に吸収されていて、音楽やパフォーマンスの躍動感は極めて肉感的。
そうだ、でっかいスーツで奇天烈なアクションしてた頃から彼は肉体派だったのだ。

その他の登場人物は12人のプレイヤー。
ユートピアらしく、国籍とジェンダーを飛び越えて集まった楽団員たちの一糸乱れぬパフォーマンス。。驚く。

YouTubeでもショウの一端は見れるが、この映画でしか体感できないのはまさに神の視点。

その神の視座にいるのはスパイク・リー。
実は随所に「らしさ」がつまっていて、撮影や編集に限らず、バーンのショウのコンセプトとの親和性は高い。
字幕で確認できる楽曲を綴る言葉たちは諧謔に溢れてはいるが、深くて重い。
ああ、この曲はこんな意味だったのかと思うことも屡々。

そして後半の楽曲🎵「Hell you talmbout」で、誰もがストレートで激しいメッセージに打ちのめされる。
気がつけば例のニュースがあたまをよぎり、2021年の残酷な現実に向き合わされる。
まるで映画「ファイブ・ブラッズ」(Netflix)や「ブラック・クランズマン」のように。

大方の予想通り、「ストップ~」同様ホール全体が俯瞰して映し出され、ショウはステージを飛び出したバーン一座と客席が一体となって、例のあの大ヒット曲と共に終焉を迎える。

果たしてアメリカン・ユートピアとはなんだったのか、その問いかけ自体がこの映画の本質ではないか?、、取り出した僕の脳ミソは、相変わらず錆び付いてはいたが、少し元気になったようだ。
脳ミソを頭のなかに収めると、身体も少し元気になってきた。

なぜかオリンピッグ事件(東京五輪の演出家が性差別騒ぎで辞任したが、ことの本質はMIKIKOのAKIRAを模した素晴らしい演出に嫉妬してのパワハラではないか、というクリエイティブの劣化)に思いが及ぶ。

脳を劣化させてはいけない。
さもなければ眼を見開いても、
真実を見ることはできない。

徒然なるままに。

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