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『間違っていない』のに、何かが違う

心の機微を表現している小説や映画が、昔から好きです。
人の心は、「悲しい」「つらい」「楽しい」など一言で表されるものではなく、感情が幾重にも重なり、矛盾に満ちていて、思い込みや願いなど現実との不一致も生じやすく本当に複雑、言葉でその全てを表現するのは難しい…と感じています。
私が本当の意味でそれに気づき、自分の感じている事を言語化するよう意識する前は、『私の中にあるこの嫌な感情は何なんだ』とモヤモヤを抱え、落ち込んだり、腹を立てたり、人や物に当たったりと、悩んでばかりでした。

職場の人間関係で、モヤモヤを抱えていたとき、大事なことを考えさせられた小説があります。

「きみはだれかのどうでもいい人」伊藤朱里著

県税務事務所で働く、年齢も立場も異なる女性達それぞれの視点から描かれた小説です。女性なら誰しも経験したことのある、胃がキリキリするような、傷口がヒリヒリするような、そんな女性同士の切実な人間関係がリアルに描かれています。
読んだ後、タイトルである「きみはだれかのどうでもいい人」の意味を深く考えさせられ、なんとも言い難い後味のスッキリしない読後感に包まれます。
この小説自体、大変読み応えがあり素晴らしいのですが、
特に衝撃を受けたのが、巻末にある、島本理生さんが書いた解説の一文。

読み終えたとき、この小説の誠実さとは、なにか、と考えた。
それは、人は必ず誰もが傷ついているということでもなければ、
人は必ず誰かを傷つけている、でもない。
「自分は」かならず誰かを傷つけている、という自覚ではないだろうか。

なるほど…腹の底にズーンと重い石がゆっくり落ちてきた、そんな気持ちになりました。
誠実さとは、自分が自覚を持っているかということ。
私が職場の人間関係で感じていたモヤモヤに対して、考えさえられる一文でした。

『客観的な正しさ』でさえ、幻想になり得る

あなたも誰かに対して、感じたことはないですか?
『正論だけど、そこまで言わなくてもいいのに…』
『そんな言い方しなくてもいいのに…』
『言われているあの人が、なんだかかわいそう』

「正しさ」をまとうと、人は少し頑なになり、そのときの言葉は直線的で、いわばむき出しのまま。
それが相手が受け止める態勢を整える前に、刺さるように届いてしまうのではないでしょうか。
だからこそ、言われた相手や周囲が、
『素直に頷けない』
『間違っていないのに、なにかが違う。』
『話終えた後に、嫌な気持ちになる』
と感じてしまい、伝えたいことが届かないばかりか、関係性に影響してしまう。
つまり『客観的な正しさ』でさえ、人間関係の中では幻想になり得る。

正しいことを伝える時こそ、気を付ける

人と人との関係において、誠実であるということは、
もしかすると、自分も誰かを傷つけている、という自覚を持つことなのかもしれません。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

吉野弘 「祝婚歌」

『正しさ』とはやっかいなもので、正しい自分に快感を感じ、少し中毒性がある気がしています。私は常に正しくなくてもいい、それよりも大事なことが人との関わりの中ではあるのだと、意識して生きていきたいです。




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