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「ポピュリズム」とは何か?

最近、各国政治の状況について、改めて「ポピュリズムの高まり」という言い方がされることが多くなりました。この「ポピュリズム」という言葉、「大衆迎合主義」と訳されることが多いようですが、「大衆に迎合する主義」と「民主主義」はどう違うのでしょうか?

「ポピュリズム」の起源と民主主義

「民主主義」というのは、民意に基づいて政治が行われる体制、ないしそうあるべしという考え方です。そうであれば、大衆の意見を政治に反映させていこうという「ポピュリズム」は、「民主主義」と同じ意味なのではないかと思ってしまいます。

調べてみたところでは、この「ポピュリズム」という言葉は、19世紀末にアメリカで誕生した「人民党(Populist Party)」が起源だそうです。南北戦争後の経済格差の深刻化のなかで、困窮する労働者や農民の不満をすくい上げ、共和・民主の二大政党に対抗する政党として誕生したようです。

このような背景は、現在の欧米が抱える格差問題や、既存のエリートやエスタブリッシュメントへの反発にも共通するものがあると思います。このように、経済の下層に取り残されてしまった人々の現状への不満、自分たちを見捨てているとしか思えない政治上層部への不信感をすくい上げ、それを政治に反映させようとする。「ポピュリズム」はそういう機能を果たしているのだと思います。

つまり、「ポピュリズム」は民主主義の中で一定の役割を果たしているわけです。それでは、なぜ「ポピュリズム」は批判的な文脈で語られることが多いのでしょう。

「ポピュリズム」が批判されるべき理由

「ポピュリズム」が批判されるのは、多くの場合、選挙で勝つための人気取りに使われることが多いためではないでしょうか。

日本でも、いかにも大衆受けしそうな主張、例えば「皆さんの収入を上げます」「消費税を引き下げます(撤廃します)」といった主張を耳にすることがあります。

しかし、その主張している政策について、政権をとった後に実際に実行できますか? そのための財源はどうしますか? それによって他の場面でどういう影響がありますか? 長い目で見て、その政策は本当にその人たちのためになりますか? そう思わざるをえません。 

そういった様々な観点から考えて、本当に責任をもってその政策を提案しているとは思えないのです。

全体的・長期的な視点が必要

社会的弱者を救うための政策の主張には様々なものがあります。移民流入の制限や関税の引き上げといった雇用の確保・回復を訴えるものもあれば、社会保障給付の拡大や低所得者の減税といった所得再分配系のものもあります。

こういった主張そのものがおかしいと言うつもりはありません。ただ、その政策によって生じる様々な影響をよく考える必要があります。

関税を引き上げれば、国外からの輸入が減り、その分野の国内での雇用は拡大するでしょう。しかし、その分、スーパーマーケットに並ぶ商品の値段は上がります。非効率な産業が温存されることにより、その国の経済、さらには世界全体の経済の発展が阻害されます。

所得再分配をつきつめれば、所得の高い人の税金をバンバン上げ、低所得者は税金なし、生活保護を大幅拡充ということになります。しかし、これではみんな働きたくなくなります。自由主義経済は崩壊です。

一部の政治家は、このような一部の労働者の人気をとることだけを考え、消費者全体としてこうむる損失や長期的な経済の発展への悪影響といった点は考慮しないのです。往々にして、その方が、簡単に票をかせげる場合があるのが、悩ましいところです。

政治家は、一部の人の、それも目先の利益だけを考えるのではなく、全体的なこと、長期的なことをよく考えて、責任をもって政策を提言する必要があります。有権者に聞こえの良い政策だけ並べるのではなく、場合によってはそのために増税のような厳しいことも言わなければなりません。

そのように、よりよい未来のために、国民を説得し、納得させた上で、今やるべきことを提案していく。そのような姿勢が欠如しているのが、「ポピュリズム」の問題点なのだと思います。

安易に「ポピュリズム」のレッテルを貼るべきではない

しかし一方で、ある一部の政治的主張を簡単に「ポピュリズム」と名付けて、低く見ようとする姿勢にも問題があります。

近年欧州では、反移民、反EUといった主張が支持を集めてきてきます。極右と呼ばれることが多いそれらの主張は、先般の欧州議会選挙で軒並み支持を集め、フランスでは国民議会選挙で同様の主張をする「国民連合」が躍進しました。

私は個人的には自らを国際協調推進派だと思っており、排外的主張に同意することはあまりありません。しかし、雇用だとか治安だとか、それぞれの国のおかれた状況に応じて、一時的に人的交流にブレーキをかけるなど、回り道が必要な場合もあるでしょう。日本だって、これまで外国人の受け入れには相当ブレーキをかけてきました。

全体的・長期的な様々な観点から熟慮した上で、そのような政策を提言するのであれば結構なことです。結果として出てくる主張内容だけ見て、「ポピュリズム」と呼んで切り捨てるのは、逆の意味で民主主義に逆行すると思います。

ここで、何らかの政治的主張の当否を論じるつもりはありません。ただ、私たち有権者は、いろいろなレトリックに踊らされず、自らよく考えて、見極めて投票する必要があるのだと、最近特に思います。



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