いつまで変わらないの?

日本の雇用システムは特殊だ。私は大学時代からずっと思っていた事がある。それは日本の新卒採用のあり方だ。なぜ4月入社?なぜ正社員?なぜ一斉に?入社式って何?は相変わらず健在している。

これはそもそも家族型経営の右肩上がりの経済の時に上手く機能していたシステムであって、ずいぶん前からフィットしていない。いつまで過去のやり方にこだわるのだろう?

そもそも未経験者相手に正社員として大量雇用する事自体にリスクがありすぎるのではないだろうか?今尚日本社会では解雇はしにくい状況だ。解雇がしやすいようにならないのなら、なぜ採用方法を変えることに目を向けないのだろうか?採用試験や面接だけでは分からない事、実際に働いてみないと見えない事、ミスマッチが起こる事を前提に何故リスク軽減をしようと試みないのだろうか?雇用のミスマッチは雇う側も雇われる側にとっても不幸な事である。まずは3か月契約、そこから本採用か否かを決めるとミスマッチはだいぶ軽減できるのではないだろうか?

企業が新入社員の配属先を振り当てるのではなく、職務内容が決まっているものに対して学生自身が自分が学んだ事が活かせる仕事に応募するべきではないのだろうか?そうすることでより多くの経験豊富な人材の流動が可能になる。未経験者が仕事にありつける枠は本来はもっと限られている。

大学が多すぎるし企業の採用基準が大卒以上となっている事が多い事も問題である。その仕事は本当に大学を卒業した者しか出来ないもの?弱肉強食の厳しいアメリカ型を望んでいるのではなくオーストラリア型をなぜ導入しないのだろう?とずっと思っていた。正社員ではなくても大卒ではなくても学歴がなくても一定の生活を向こうではすることが出来る。切り捨てることのない生きやすさが向こうにはある。(自己責任って言うのやめない?の記事の中にも以前書きました。)

皆同じような地味なスーツ姿の就職活動は気味が悪く感じてしまう。就職活動の際はリクルートスーツ姿で入社後は自由な服装だったり意味がわからない。それぞれのTPOがめちゃくちゃだと個人的に思ってしまう。男女平等といいながら女性だけが自由な服装をして男性はスーツに縛られることが多い。特にメディアはめちゃくちゃだと思ってしまう。女性のニュースキャスターには少なくともジャケットを着てキリっとしてほしいと思うのは贅沢なことなのだろうか?ニュース番組にふんわり優しいかわいらしい雰囲気は必要なくシマリがなくてはならないと私は思う。坦々と国内外で起こっている出来事を報道し必要であれば専門家が端的に知識を伝えるかっこいい職業のはずである。タレントやアイドルのような人が読むニュースから深刻さや危機感は感じられにくい。幼い容姿がもてはやされるがそれだけ日本人が精神的に幼いのだろうと思う。考えない事は楽だ。いつから井戸端会議のような誰がどの職業かも分からないような緩い形態になってしまったのだろう。多様性の意味の勘違いも甚だしいと思ってしまう。話が脱線してしまいました。

入社は4月ではなく、いつでもいいのではないだろうか?4月ではなくても新卒は新卒だ。それに第二新卒と差別的な変な枠組みはいらないと思う。新卒の一定数の雇用ありきの採用が企業の成長を妨げていることはないだろうか?社員は育てても転職する時代でいつまでこんなことを続けているのだろう?ご丁寧に入社式までして時間を割くのは世界で珍しい。

新卒採用の場合同じような給料水準からスタートすることもおかしすぎる。

決められない、変わらない社会を結局国民も求めている中で型破りなイノベーションは起こるだろうか?仲良しこよしの家族経営でイノベーションは起こるだろうか?家族経営雇用のジョブ型から新しい何かは生まれるのだろうか?英語の本来の意味は日本にくると変換されその本来の意味を失ってしまう。残念ながら多様性の意味をなんでも認める事と捉える人達もいる。どうして正しくもっとうまく取り入れてより良くしていけないのだろう?優秀な人もそうでない人も海外に流出してしまう原因は社会が変わろうとしないからだ。変わろうとしないものに対して見切りをつけるからだ。

こんなことをしていたら国力は更に弱体化してしまう。いい加減にいろいろな事から目を背けずに問題と向き合ってほしい。人の外見を特別視しハーフや外人の容姿が相変わらず羨ましがられる。日本人か外人か、その見た目によって聞く耳を持つか持たないか、若ければ生意気と捉える日本社会に未来はあるのだろうか?若くて優秀な人達(知識だけではなく沢山の物を見てきた人達)がもっと活躍できる社会で真のイノベーションは起こるだろう。

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