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老後のお母さんどこに住むか問題

父が倒れた。しかも8年ぶり2度目。
急性期は過ぎて一命はとりとめたものの、多分もう長生き、、とはなかなか難しそう。
今は完全看護の施設に入所している。

施設は実家から車で15分くらい。
コロナのため好きな時に面会に行けるわけではなく、週に一回10〜15分程度、予約をして母が面会に行っている。

私も面会に行くために、先日実家に帰省した時。
母がぽつりと言った。

「私、死ぬまでこの家にいるつもりはないんだよね」

え、そうなんだ。
この家、とは私の実家のことで、父方の祖父母が建てた家。母がお嫁に来た時からの家。
なので随分古い。昔は祖父母、両親、私達きょうだい3人、の7人で住んでいたのでそれなりに広く、でも今や母一人にとっては広すぎる。

え、じゃあどこに住むの?

と聞いたところ、母は「うーん、この家を出てシニアマンションみたいな所に住むか、私の弟夫婦の家の近くに住むとか、、近くに住んだらとか言ってくれてるし…」

どうやら母親自身もまだどうしたいか分からないようだ。
確かに、前々から実家の家が住みにくいと不満を漏らしていた。
古いので寒いし、家事動線も悪いし、何より祖父母が建てた家、というのがお嫁に来た母にとっては、ずっと他人の家で暮らしていたような気持ちで居心地は良くなかったのかもしれない。

では今後、父を看取って、施設の近くに住んでおく必要がなくなったら?今の家に縛られなくなったら?今後どうするか。
父が倒れて家からいなくなったことで、今後の自分一人の暮らしを現実的なものとして想像し始めたのだろう。

私が思う選択肢は、
賃貸なのか家を買うのか。
買うのなら今の実家を売ることになるんだろう。
ではどこに住むのか。
母が言ったように、母の弟夫婦の家の近く。(母が育った地域でもある、今の実家から車で30分程度の距離)
息子の近くに住む(私の弟。新幹線で実家から二時間半の距離)
娘(私)の近くに住む(飛行機で二時間の距離)
……

母にとってどれが一番いいのだろう。
母が希望する場所、方法が一番いいのだけど、実際のところ、母は自分の希望を言わない。
というか、自分がどうしたいのか、母自身もわからないのだ。

母は、3人兄弟の長女として育ち、地元の高校を良い成績で卒業、社会人となった。(今も誰もが名前を知る大企業に就職!)
5年間OLとして働いて父と出会い(父は同じ会社の人ではない)、退職し結婚。奥さんになり、数年後には3人の母となり、その後は両家の祖父母を看取った。

娘として、妻として、母として、嫁として。
母は人生の中で様々な役割を果たした。
私達3人きょうだいも独立し、母という役割は残るけれど、その他の役割はもうすぐ卒業することになりそうだ。
じゃあ、一人の人間としてどのように残りの人生を過ごしたいか。

正直なところ、これも母的に漠然としてどうしたいのか分からないようだ。
様々な役割を果たすうちに、無意識に自分のことよりも家族を優先し、自分の意見は後回しになってきたのだろう。それがいつしか当たり前になり、人に合わせているうちに自分がどうしたいのか意思が表面化しなくなった。

自分がどうしたいか。
物事を考える軸として当たり前のことだが、実は日々訓練していないと、それを言語化するのは難しい。母のように長年家族という他人に合わせてきた人はなおさらだと思う。

母は大企業のOLだった。
私が就活をしている頃、なんでせっかくそんなに大きな会社に入れたのに辞めたの?もったいない!と言ったことがあった。
それに対して母は、「当時は女性は結婚退職が当たり前だったし、5年以上会社にいても嫁に行き遅れた、という感じだった。会社を辞めることがもったいないだなんて、考えたこともなかった。」

えーー?!へぇ〜〜〜。時代はそういうものだったのか。

私は今フルタイムで働きながら家事育児をしていて同世代の友人の多くは同じ感じ。
子供を育てながら働くことができるって、過去に女性の社会的地位向上とか、会社の中でも頑張ってくれた女性の諸先輩方がいてくれたから、今私は会社の制度にも守られ、働けている。そのようなパイオニアの女性の先輩方の話は耳に入っていたけれど、一方で、私の母のような生き方をしてきた女性もたくさんいるのだろう。
しかもそれは、誰かに強いられて、嫌々ながら家の中に閉じ込められていた、とかではなく、「女性とはそういうものだ」という社会が思う役割を自然なものとして受け入れ、生きてきた。特に疑問に思うこともなかった。

社会で働く女性が偉くて、母のように家の中で生きてきた人が偉くない、と言いたいのでは全くない。

母が家にいてくれたから、私たち家族は幸せに過ごせたし感謝もしている。でもそれは、ある意味母の自我を押し殺した上で成り立っていたとも言えるし、一方で、人生の中での色々な判断を家族に任せてきたという母が決めた生き方でもあった。大事な判断とかを人に任せるって、それがおかしな方向でなければ、ある意味責任がなくてラクなのかも。

自分がどうしたいかわからない、という母を作り出したのは、私達家族のせいでもあるのかなぁ。

家のこと、今後の生き方のこと、母が自分と見つめ合って、自分の思い通りに残りの人生を生きて欲しい。

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