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”幸せ”


北欧は幸せなのに日本はどうして不幸なんだ!

僕がすんんんんんごく嫌いな言葉。
そう言う人は北欧を見たこともないし、ただ”幸福度”という一つの尺度でしか語っていない。
そもそも幸せって何なのか。

幸福相対論

一般的に、幸せとは「自分にとっての”普通”と比べた時の相対的な状態」でしかない。
例えば浪人を経験した際に、自分は凄く不幸だなと感じた。
これは何故か。
好きな時に勉強ができて自由に遊べた高校時代と比べて、丸一日勉強しなくてはならない。
プレッシャーや強制的に勉強をしなくてはならないという圧迫感も相まって、自分の”普通”となっていた高校時代と比べて幸福度は低かった。
もしくは一足先に大学へ進学した友人と比較して、まだ受験へ向けて勉強をしなくてはならない状況を惨めに感じていたのだろう。
高校時代を”普通”とし、周りの大学への進学を”普通”としていた自分にとっての浪人期は”不幸”だったと感じている。

一方で幸せを感じるのも同じ。
彼女がいない生活が”普通”となっていたところに、彼女ができたら人はすぐ幸せを感じる。
仕事でうまくいかない状態が”普通”となっていたころに、慣れによってうまく行きだしたと感じたらその状態よりは幸せと感じる。
結局、幸も不幸も相対的な尺度でしかない。

”普通”としつこいほど表記しているからわかるかもしれないが、この”普通”は”理想”と混同してしまうことがある。
つまり幸せの比較先の”普通”は非常に曖昧で不安定なのだ。
幸せになりたいのであれば、この比較先を絶対的な基準にすべき、と僕は提言する。

もっと簡単に言えばこの比較先が限りなく低ければ起こりうるすべての状態は幸せとなる。
「死ぬこと以外すべてかすり傷」って言葉が言いたいのはこういうことだと僕は解釈する。
基準点が最低点の「死ぬこと」になれば、その他のことはすべてかすり傷、つまり不幸と呼ぶほどではないのである。
また基準が下がったことにより、今まで当たり前のように享受していた事柄に幸せを感じられるようになる。
これが「幸せは気づくもの」なんて言葉が言いたいところだ。

それ以外の幸せのなり方は何なのか。
「比較しないこと」
これに限る。

ノルウェー人は幸せなのか

本題に戻ろう。
ノルウェーにいる自分にとって、ノルウェー人の生活は必ずしも幸せだとは思えない。
平日そこそこ仕事をし、必ず定時で帰宅する。
金曜日に早く帰れるように月から木曜で金曜日分まで働く。
そして金土日の週末でhytte(ヒュッテ)と呼ばれる山小屋に家族でこもる。
彼らの優先順位は圧倒的に家族>>>友人・仕事なのだ。
彼らの生活は単調で無味なように感じる。
同じ欧州の中でもラテン系とは驚くほど国民性が異なる。

ノルウェーは寒いし、冬は日照時間が5時間もないし、物価も高くて外食は普通のレストランで5000円する。
お酒も500mlで1300円くらいしてほとんど飲まないし、そもそも家族大事にするから友達付き合い悪いし、筋トレとスキーしかすることがないような国だ。
そんなノルウェーって国が俺は好きで性に合ってるんだけどね。

ノルウェー人と日本人の決定的な違い。
「比較しない」。
みんな自分の目の前の生活に打ち込んでいる気がする。
社会保障とかそういうところじゃない。
自分たちの優先順位がブレず、何を大事にしたいかが明確だ。
多分彼らはいい意味で田舎者だ。
「日本は幸せなのにどうしてノルウェーは不幸なんだ!」
なんて比較論、彼らは言わないだろうな。

って言いながら僕自身日本とノルウェー比較しまくってるね笑


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