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感情は言葉じゃない

言葉は最も安価で高価な贈り物だ。
人は何かを伝えたいとき、それを言葉にする。
声に出したり文字に起こしたり詩に詠んだり。
感情を言葉にする。
それは古代から人間が行ってきた行為だ。

最近noteを書いていて気づいたことがある。
それは、分かっていることを言葉にするのではなく、
寧ろその逆で、言葉にするから分かるんだろうな、と。

そう思うと和歌とかカンツォーネが尊い。
愛情があるから言葉にしたんだろう。
その一方で言葉にしながら愛情を再確認する。
愛があるから言葉にし、言葉にするから愛を再確認し、相手に愛を贈る。
そうした何年も前の愛情の結晶、感情の結晶が現代に遺る。

感情は言葉じゃない。
けれども言葉でしか感情は伝えられない。

だから水を手で掬うように、丁寧に丁寧に言葉は選ばなくちゃいけない。
その過程で水の質感、色、温度を確認するんだろうな。

この手ってのが言語なんだと思う。
母国語だと、この水という感情を自由自在に操れる。
水に混じった不純物を取り除いたり、水の量を調節したり。

ただそう器用に操れるのはこの言語が母国語のときだけ
母国語以外になると凄くこの操作が難しい。
最近毎日のように英語を使っていると感じる。
自分の思想や主義主張を他人に伝えられるほど指先に神経が通ってない。
言いたい大事なことがポタポタ零れ落ちていく虚しい感覚。

ドラマ、「モダンファミリー」での女優ソフィア・ヴェルガラの台詞を思い出す。
時折、僕も叫びたくなる。
"Do you even know how smart I am in Japanese?"と。

この一文を聞いたときなんだか僕は涙が零れた。
自分だけじゃないんだな。
この世のほとんどの英語話者は自分と同じ感覚なんだって。

10年前イギリスに住んでた時、英語の発音で馬鹿にされたのをよく覚えてる。
まあ今思い出すと変な発音だったもんなって。
それでもあの感覚は覚えてる。
あいつら日本語の発音下手くそな癖にね。
馬鹿にされたら「あたたかかった」って言わせてみればいい。
絶対言えないから。笑
これは日本人としてのささやかな復讐

幸いにもノルウェー人の発音はそこまでいいわけじゃない。
そもそも母国語じゃない。
だから別に馬鹿にされたりしない。
まあ10年で発音がマシになったってのもあると思う。

感情は言葉じゃない。
それでも言葉でしか伝わらない。
だから言葉にする訓練を積み重ねなきゃいけないんだろうな。
日本語だろうが英語だろうがノルウェー語だろうが何語だろうが。
少しでも指先に神経が通るように。

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