「要らない」を拡大解釈する教員は要らない

教育現場には要らない物事が山積みであり
個人的にこういったことを一つ一つ整理していきたいという気持ちが大きい。
このnoteも、頭を整理するために書いている。

現場でも、これ必要なのかな?という疑問をもった時には「これ要らなくないですか?」とつい言ってしまうことがある。
普通の教員は、要らないと思いながら、仕事として割り切ってやっているので
「そうだよね〜、もっと〇〇になればいいのにね〜」という話になるが、
頭の固い、真面目な教員ほど「その考え方はダメですよ」と鼻息荒くして
全否定モードで突進してくる。

もちろんその人の言う事がわからない訳ではないのだが
大抵の場合、そういう人が言うことは論点がずれている。
どうずれているかと言うと
こちらは優先順位の話をしたいのに
相手は0か1かの話をしてくる
ということが本当に多い。

言葉の意味を確認すると
「要らない」は「必要ない」と同義であり
「必要」は「なくてはならない」という意味なので
「必要ない」は「“なくてはならない”ということはない」という意味だ。

しかし、鼻息を荒くして突進してくる人は
この「要らない」を「無価値」や「無意味」という意味に拡大解釈してしまう

私が常に議論したいのは
「他にもっと必要なものが、優先すべきことがありませんか?」
ということなのだが
「要らない」を拡大解釈してしまう人は
そのことの良い点を列挙するのみで
他のことと比較したり、他の可能性を全く考えようとしない。
よほど自分のしてきたことに自信があるのか
もう後戻りできないような心境になってしまっているのか
原因はよくわからないが。

教育現場にはこのような考え方の教職員が
本当に多いと感じる。
その証拠に、今の教育現場には要らない物事はなくならず
必要な物事はあたりまえのように増えていくので
現場の教員は常にキャパオーバーになるのは当然だ。

小中学校教員の平均勤務時間は11時間を超え
週の労働時間が50時間未満の教員はほとんど存在しておらず
小学校では7割、中学校では8割を超える教員が
週60時間以上働いてる。
給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)
によって、残業代は給料の4%しか出ないのにだ。

無駄な議論はやめて
真に建設的な話し合いをしたいものである。

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