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いい加減、親子関係を美化しすぎるのやめてくれないかなあ

いろいろとあって母親と喧嘩した(電話で)。

自分でもびっくりするくらい、腹が立って、泣いて、思いのたけをぶつけた。それはまるで私の生きてきた時間分全部の「母への怒り」をぶつけたみたいな形となった。

そうして気付いたことがひとつあった。

母と、話のやり取りがちっとも噛み合わないのだ。

私がぶつけた言葉に対しての返答に、母はあさっての方向から言葉を紡ぐ。かと思えばたまに「ごめんね」なんて謝るけれど、それはまるで「とりあえず謝っておけばいいだろ」的な塩梅なのが、こちらから透けて見えているのだ。

思えば子供の頃、母親に「話を聞いてもらえない」と思ったことがあった。

—ああ、「話を聞いてもらえない」んじゃあなく、「話が噛み合っていない」が正しかったんだな。

やっと私は理解した。そしてもう、母に対してのいろんなことを諦めるしかないのだなと、その覚悟を決めたのだった。

世の中にはいろんな人がいて、家族を大事にしてアタリマエの人たちもいる。

けれども、家族なのにうまくいかないことがあるのもまた事実で、そっちの方は、世の中がこんなにナントカ社会とやらに理解がいったつもりになっていても、なかなかその存在を「認めて」もらえない…気がする。

未だに「お母さんを大切にしろ」なんて言われる。毒親という呼び方がここまで知れ渡っているのにも関わらず、未だに「親は大切にしてアタリマエ」とされる。親不孝という言葉があっても子不幸というのは少なくともパソコンの変換機能では出てこない。

私はどうして母親にお金をせびられているのだろう。

どうして、同級生のAちゃんは両親から進学費用だ一人暮らし(と見せかけた同棲)の費用だなんだを出してもらえていたのに、私は進学先を決めるのにも「お金お金お金…」とまずはそこを気にして、とにかく不自由にしなくてはならなかったのだろう。

「子供なんて産めばなんとかなるよ!」なんて言う人もいるけれど、お金があるかないかでこうも格差が出るのに、そんな簡単なことを言ってしまえることが、申し訳ないけれど私には理解できない。

「なんで私にお金の苦労ばっかりさせるの?」

母にそう言えて、言えただけだけれど、それでも私は自分に花丸をやりたい。

ずっと、好きなことをやって生きている人に憧れていた。それは多分、身近なそういう人たちがあまり親元で暮らしているパターンが少なかったことも影響していたと思う。親元を離れても好きなことで生きている人、だからこそ憧れたのだろう。

私はずっと、母親から離れたかったんだなと思う。

それを叶えたはずなのに、世間の同調圧力っぽいものに負けて、たまに電話してあげるくらいには母との関係を細く細く繋ぎ続けて、それで結局またこうして、私は母に裏切られる。

どこかで待っていた。母に、母親らしいことをして貰うのを。

けれどもわかっていたはずなのだ。「もう諦めろ、」と、本当の私はとっくにわかっていたはずなのに。それなのに私は、期待してしまった。

また私は、私を泣かせた。悔しい。私に、申し訳ない。

昨日も調子が悪くって、本当はもう、今やっているパートなんかやりたくなくって。でもやらないと家計は苦しくて、そこにまたこうして母親からお金の催促をされて。なんだこれ。いつになったら逃れられるのさ。

こんなんで、夢なんて上手に見られないよ。せいぜい、傷を癒そうともがくことしかできないよ。絵空事みたいな夢なんか見る気力、起きないよ。せめて悪夢を見ずに眠りたいと、そう願うことしか、できないよ。

悔しいなあ。

それでもお腹がすく私のからだは、ちゃんと生きていたいと願っている、健気な存在だっていうのにね。

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