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本当は埼玉県立近代美術館にすげー行きたい

こないだ、絵画で有名な作家の村山槐多から想像を膨らまして書いた物語をnoteにUPしました。

それまで村山槐多のことを全く知らずにきてしまった私でしたが、このタイミングで、期間限定といえども、埼玉県立近代美術館にて彼の作品を観ることができる—というのを知りました。びっくり。

とはいえ、美術館へのハードルが高い夫の力を借りなければ遠出もできない身の私に(しかも「美男」の展示というだけでいい顔をしてもらえず…)、この企画展示を観に行くことはちょっと難しそう。Twitterで観られただけでも嬉しいな、近代美術館さんに心から感謝です。

ちなみに、博物館へのハードルはここ数年でぐんと低くなった我が夫。埼玉県立自然の博物館においては、自ら「おもしろかった!」と申しておりました。

だいぶ昔に行った某歴史資料館では「社会科見学させられてる感…」と、心底つまらながってたのにね。

私はといえば、埼玉のはまだですが「道立」の近代美術館には数回行った覚えがあります。高校時代とか、短い大学時代とか。芸森にも行ったし、百貨店の最上階でやってる系の美術展にも行った。美術部だったし、とにかく「芸術」に触れている間はイヤなことも忘れられたし。

少なからず、自分も「芸術」に携わりながら生きていきたいと、感銘を受けていたことは確かです。

いわゆる企業勤め的な意味合いでまともに働けない自分に劣等感を持ったこともありましたが、そもそもそれが自分のやりたいこととイコールで結ばれていなかったのだし、ならまあこういう生き方もアリかなと、芸術関連での収入が少なくとも「ある」だけでまずまず幸せなんじゃあないかなと、そんなことをうすぼんやり考えてみたり。

今後はがっつり働いてやるぞ、と腰を据えて面接とか行ったら、事務職を受けたはずが何故か某デパートのレジ係の面接に勝手に変更されていたり(…あれなんだったんだろ)、そういう変な流れに風向きが変わって、結局今とあまり変わらない感じの、人並みより幾分かゆるやかな働き方に戻されたり…そういうのって、もしもスピリチュアル的な言い方をするならば「神様のさしがね」で私は、自分に合った生き方をする様、ゲームの駒のごとく動かされているのかも知れない。

そうしてできた余裕—と言うとまたちょっと違うけれど、空き時間みたいなもので芸術に携わって生きなさいよ、というのが神様のさしがねなら、甘んじて受け入れよう。否、できれば芸術だけでごはんを食べていきたいっす、神様。


ちょうど一か月後、来月14日に新譜が出ます。サブスクで聴けるので、ご視聴お待ちしております。

最近メンタルがしんどくて&原付免許を取る為に勉強していたりで、全然noteを読みに行けてません。スキしてくださるかたもいらっしゃるのに、本当に申し訳ないです。ゆるゆる読みに伺いますので、気長にお待ち頂けましたら幸いです。

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。