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手を繋ぎ直すと「ほら見たことか、」と笑ってくれた

「パートナー」という言葉には、

共同で仕事をする相手。相棒。

デジタル大辞泉(小学館)より出典

という意味合いもあるそうだ。

で、あるならば私のパートナーは芸術そのもの、と言ってもいいのではないだろうか。

まったく関係ない仕事で生計は立てている。
けれども、音楽活動はしているし先日は絵の個展もやった。
私の人生において、なんやかんや芸術というものは—私から切り離せない存在として「人生」という仕事を共に担ってくれるパートナー、そう表現しても違和感はない。

小中高と、音楽隊なり部活なりで音楽や美術をかじって生きてきた。
思えば幼稚園の頃だって、絵を描く遊びばかりしていたし、自ら望んでピアノ教室にも通った。
そんな私もときどき、生活に追われて芸術活動から離れたこともあった。
芸術活動には「鑑賞」も含まれるとのことだから、正しくは「自らが表現者側に回る意味での芸術活動」から離れたこともあった、だ。

高校を卒業すると、たとえ共に絵を描いていた仲間であろうとも、それと関係ない分野に進むことが殆どだった。
当然のことだ—この先の将来の生計がかかっているのだから。
自分もそうなろうとしていたけれど、そんな自分への拒否感は常にあったと思う。
「何かしたい」が募った。
仕送りを一切してもらえない学生生活で、日中はアルバイト、夜は二部の学校に通う毎日だった私は、たまたまアルバイト先でたくさんの「何かしている人たち」と出逢い、そのことが自分の人生の分岐点になったと、今でも強く感じている。
絵を描いているとか、役者をやっているとか、DJをやっているとか、そういう人たちがごろごろといる職場だったのだ。

まもなくして私は日々に押しつぶされて、そこにあった道からドロップアウトした。
学校も辞め、実家に戻り、けれども実家では母親とうまくいかず。
そののち、私は当時まだそんな言葉で呼ばれてすらいなかったシェアハウス先をどうにか見つけ、無理矢理上京してしまう。

上京して、初めての東京は眩しく、本当に刺激的だった。
しかし、生活していくだけでいっぱいいっぱいであることは確かで、その内に私は自らが表現者側に回ることを、ゆるゆると諦めていってしまったのだ。

ご丁寧に、SNSは旧友たちの現在を教えようとしてくれる。
自分の無様さが情けなくって、自棄になって八つ当たりしたりリセット症候群を発したりして、殆どの縁は切れてしまったというのに—情報だけがこちらに流れてくるのだ。
しかもSNSでは、そんなに後ろ暗いことを書いている人はほぼいない。
流れてくるそれらは大概、旧友たちが輝かしい人生を送っているさまだった。

皆、芸術と距離を置いて生きていてもちゃんと幸せになっている。
私はそれができない自分を恥じた。
本当は、自分だってそうやって生きていくべきなのだ。
なのに自分は何故今でも「何かしたい」を拗らせて生きているのだろう―。

…なんてことを思っていたはずが、ある日ふとタガが外れてバンド活動に復帰して以来、私は前述のとおり、なんやかんや「何かして」生きてきてしまっている。

諦めよう―そう思った。
芸術と距離を置いて幸せになろうとすることを、私は諦めようと思ったのだ。
改めて手を繋ぐと、芸術は「ほら見たことか、」とほくそ笑んでいるではないか。
幼い頃からずっと傍にいたのに、傍にいて、どんなにつらい時もその存在に助けられてきたのに、私は芸術それから無理に離れようとした。
いじめられた時も、理不尽に遭った時も、芸術に打ち込んでいれば、自尊心を失わずに済んでいたのに。
どうして私は自分の人生のパートナーと、向き合うことを恐れていたのだろう。
私には私なりの幸せの形があるのだということが、やっと解った気がする。

なのでこれからもどうぞよろしくね、私のパートナーよ。
嫌って言っても離してやらないよ、この繋いだ手を。


#私のパートナー


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