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たかはしたまごから学ぶ「異端」のすゝめ

私は、いつだって「評価されない」立場だった。

幼稚園からピアノを習ってみてもちっとも上手くならず、しまいには先生が私のお稽古時間の30分間の内、最初の10分を前の人の延長時間に使ったりもした。それがうちの親にバレたのもあってか、私は「エリーゼのために」も習得できずに、約3年間でそこを辞める羽目となった。

中学では吹奏楽部に入部したものの、おそらく「いてもいなくても変わらない部員」という立ち位置だったと思う。

高校時代は最初だけ剣道部に入って、そこで同級生から嫌がらせを受けたことを理由に退部。その後は美術部に入ったけれど、賞なんて一回も取れなかった。

それでも高校三年の冬に私は、美術部に私を誘ってくれた当時の友達と一緒に、小樽市内の一軒家を改装して作られた—というより、古すぎて「家」としての機能を失った、と表現した方が正しい佇まいのギャラリーを借りて、二人展を開いたのだ。

その友達はえらく絵が上手くって、何度も何度も受賞経験があった。一方の私は、ご存じの通り全然評価されない。

どうにも絵画通っぽい雰囲気を自らに漂わせたご老人が、二人展にフラッと現れた。私の絵はまるで無いものの様にスルーされ、老人はひたすらに、友達の油絵を褒めたのだった。

けれどそんなこと、もう飽きる程繰り返された事象に過ぎない。

「わからない人がわからなくったって、いい。私が私の作品を好きならば、それでいい」

私にはそんな矜持が備わっていた。悔しさが溢れてこようとも、結局はその矜持が、幾度も私を救ってくれていたのだった。

ところで、埼玉に「たかはしたまご」という会社がある。

言わずもがな、たまごを扱った会社だ。

このたかはしたまごは、テレビCMの中でこんな印象的な文句を用いて、自らを表現している。

それは、「業界の異端児」。(ドーン!…と効果音をつけたい…)

(CMについては公式動画が無かったので、テレビ埼玉が見られる人は放送中にチェックしてみて欲しい。)

この「異端」エピソードについては、公式サイトの「たまごへのこだわり」の頁でも語られているほどだ。

要するに「他とは違うこと」を怖がらず、寧ろ自信に変えて進んできたたまごの会社—それが「たかはしたまご」、という企業なのだろう。

…先に断っておこう、たかはしたまごから何の依頼も受けちゃあいないぞ。

ただ、CMの中で凛とした響きを持って語られる「業界の異端児」という文句は、やけに私の心を捉えて離さないのだ。

今日、仕事で事務作業をこなしながらふと、こんなことが頭に浮かんだ。

(のでこっそりスマホをいじって、下書きだけ用意しておいた。)

評価されないことにも慣れきって、慣れたとはいえ時折途方もない悔しさもあれど、なんやかんやこんな境地に至っていたりする私だ。

ところで「異端」という言葉の意味を改めて調べてみよう。

異端(いたん、英語: heresy)とは、正統から外れたこと。学説で正統と対立する異説。系統で正統と対立する異系統。
その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説などのこと。多数から正統と認められているものに対して、少数によって信じられている宗教・学説など。
本来の教義を忠実に継承していないこと。統治者である事に相応しい理由を持っていないこと。
宗教において、正統を自負する教派が、正統とする教理・教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。—Wikipediaより

「その時代において正統とは認められない」ならば、次の時代には認められているのかも知れない。

「こんな」と憂う時代とて、いつまでも続くわけでは無い。中島みゆきさんも歌っていらしたけれど「あんな時代もあったね」と言えてしまう日が訪れて、すべての時代がいつか「過去」と化す。

だから、その時代において評価されない自分のことなんて、そんなに卑下する必要は無いはずだ。

自分とて「業界の異端児」である—それっくらいの強気で前を向いて進めばきっと、道は開けるのだろう。

最終的には「続けた」ものしか残らないのだ。

その続いた道の先に、新しい時代が待っているはずだから。


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テレビ埼玉のCMに出演しています。良かったら是非ご覧くださいね!


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