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寄付のご報告及び、自分と向き合い、そしてお掃除の日々

まずはご挨拶をば。
あまりに忙しかったりで気持ちが落ち着かず、体力も足りず、
全然noteに来られなくって、
皆様の記事を読むこともできず申し訳ありません。
年末もうちょっとだけ落ち着くかな?とも思われるので、
ゆっくり伺わせてください。ごめんなさい。

長くなりそうなのでピンポイントで目的の箇所に辿り着けるよう、
もくじ方式にしておきます。



「自分と向き合わねば」と気づかされた秋

今年、私は個展を開いた。

今思い返しても、めぐりあわせというか、本当に人生のこのタイミングでまた絵の展示をすることになるとは、自分でも驚きだった。
そしてこれがきっかけで、既に2026年のお正月から一か月の予定で、個展が決定していたりする。
決定というか「予定」ではあるけれど、とりあえず予約は取れている。

数年後とはいえまた絵の予定ができた以上、私は2024年からもっと本格的に絵と向き合おうと決めた。
今後は水彩とかアクリル絵の具とか、そういったアナログの手法を積極的に取ることにもした。
理由のひとつとしては、次回の個展を開く場所が病院の廊下をお借りしたギャラリーであって、患者さんの層を考えるとアナログの方がふさわしそうだったから。
そして、アナログで自分がどれくらい表現できるのかも、試してみたかったから。

※ちなみにこの記事のヘッダー画像は 「ドラマイラスト 」のお題に沿って描いた、水彩画での安田顕さん。

それによって思い立ったことがあって、これまで洗濯を干すか物置か、という使い方しかしてこなかった二階の一部屋を、私のアトリエにしたいなという気持ちに駆られた。
ずっと二階に放置していた電子ピアノもそろそろ弾きたいと思っていたし、でもその為には片づけをしてピアノの居場所をずらしてやらねばならなかった。
なので、その部屋を片付けることは何もかもに丁度良かった。
片付けている内に、たまたま立ち寄った上尾のセカンドストリートで、木製のイーゼルが700円ほどで売られていて、大喜びで購入したりもした。

不思議なことに、その部屋を片付けた頃からうちの猫の内の一匹が、部屋アトリエを気にいって入り浸るようになった。
しまい込んでいた、従兄からのおさがりの座椅子に居座るようになった猫。
猫が気に入る場所は「気」がいいんだよ的な書き込みをネットのどこかで見掛けたりもして、ああやっぱりアトリエを使える様にして良かったな、なんて感じていた。

そして、だいたい時を同じくして―自分の中に、ある感情が芽生えていた。

↑ この記事にも書いたのだけれど、自分の中に「片付けるべきもの」があることに、私は改めて気付かされた。

そもそもそれを少しずつ片付けていかないと、私は本当の意味で前に進めない気がした。
自分の中にある、例えば母からの影響。
母は今思うと、何らかの支援をきちんと受けた上でないと、子育てをさせるべきで無い人だったのではないかと思う。
私はすぐに人の顔色を窺って、お客さんならお客さんにけして嫌われないよう、たとえそのお客さんが無理難題を押し付けてくる系の人であったって、我慢してニコニコして―みたいなことを、私はほとんどの場合繰り返してきた。
もっと毅然とした態度を取ってもいい時だってあったのだ。
訪問したら玄関先にブリーフ一丁で私の前に現れるお客さんとか、そういった人にまで笑顔を振りまく必要は、けして無かったはずだ。
それなのに私はどうしていつも我慢してきたのか。
それに考えを巡らせた時、ふと私は、自分の中の記憶の欠落に気が付いた。

「私、なんでママに怒られていたんだっけ?」

子どもの頃、よく母に叱られてはほっぺたをぐりんぐりんに抓られたり、物置に閉じ込められたりした。
正直なところ、30年ほど前にはよく存在した風景だったとも思う。
息子を物置だか蔵だかに閉じ込める父親の小説も、国語の教科書に載ってたりしたくらいだ。

けれども私は果たして、そこまでされなければいけないことをしたっけか―?

二十歳を過ぎた頃、私が風邪で苦しんでいても焼酎を呑んでいる母親に「どうして家に薬が無いのだ」と文句を言ったことがあった。
実家から歩いてほんのわずかな場所にドラッグストアもあったし、ちょっと行って買ってくるくらいのことは母にもできたはずだ。
しかし母はそんな私に逆ギレし、呑んでいた焼酎を私の顔面にぶっかけた。
風邪を引いて熱を出している娘に、だ。

それを思い返した時、私は、私の今の性格—人の顔色を極端に窺う、という性質が、母の機嫌を損ねない様にしていた結果だったのではないかと推測できたのだ。

幼少期の私はきっと、理不尽に怒られることを重ねてきたのだろう。
だから暴力を受けた記憶はあっても、具体的に何をして怒られたかについては記憶が抜けているのだと思う。
飼っていたインコのかごの掃除をするにしても、ほんの少しゴミが床に残っていたりすると母はやり直しを要求した。
自分が大人になってみて、そういうシーンでは大概、母親というのは「仕上げ」をするのだろうなと推測できた。
私だったらそうするな、という想像力は、何年も続けた保育の仕事が充分に教えてくれたことだ。
だから保育の仕事はやって本当に良かった。
私は保育の仕事に出逢わなかったら、一生、まっとうな母性を獲得できずに生きていったと思う。

―さて、前置きが長くなってしまったけれど、そういった私の中の「片付けるべきもの」を処理する為に情報を得ていく中で、その方法のひとつとして「掃除」がある、ということを知った。
アトリエのこともあったしで秋から少しずつ始めていった掃除は、進めれば進めるほど、私に影響を与えていってくれたのだ。

要らないものを処分していく

私の家は、二人暮らしの割には広い。
おそらく建売住宅であったろう一戸建てを、大家さんが貸しに出していて、同じ感じで隣に立つ家のご家族は今でこそご夫婦お二人暮らしであるものの、お子さんを二人、うちとほぼ同じ建物で育てていらしたのだ。

でも、だからこそ私は家の広さにかまけて不要なものを詰め込んでいた。
それをざっくざっくと掘り出し、捨ててゆく。
「買い取りしてもらおう」と思ったものは殆ど、よくよく見ると誰も要らない様な傷み方をしていた。
特に、私が古着で買っていた衣類たちよ。
母の抑圧があって(もしくはお金が無くて)好きな洋服を着られなかった学生時代を、大人になって安く買える古着の「量」で賄って、そうして気持ちを昇華しようとしていた―のかも知れない。
でも30代も後半になってくると、古着はときどき、私の佇まいをみすぼらしくさせた。
それに気づいたから、私は割と容赦なく衣類たちを処分した。

その内に対峙せずを得なくなったのが、母から送られてきた上質なコートだった。
母が知人から貰ったとかで、質は物凄く良く、おそらく百貨店で買うレベル。
しかし重いし丈が長すぎて、何度か着てみたものの、私には扱いづらい。
でもそれを捨てることが私にはどうしても困難だった。
「高くていいもの」を「母親から貰った」ということが、どうしてこうも自分に呪縛を掛けているのか―私にもまだ、母への情とかそういったものが、残っているせいなのか。

考えに考えた挙句、ふいに私の中で、そのことが別の悩みとクロスした。
以前に頂いていたサポートのより良い使い道について、私はずっと悩んでいたのだ。

私はいつもnoteで頂いたサポートを、何らかの形で寄付してきた。
子ども支援の団体が殆どだったけれど、
ここのところ、例えば24時間テレビの寄付金を悪用した人のニュースなんかを見、素直に「寄付したい」と思える場所を見つけられなくなってしまっていたのだ。
・できるだけ国内で活用して欲しい
・なるべく直接的に寄付を役立てて欲しい

…みたいな気持ちがあったので余計に、私は考えあぐねいていた。

やっと見つけた寄付先

悩みながら掃除を続けていたある日、ふと「この不用品コートを寄付できる場所はないだろうか」と思い立った。
そうして検索したところ、埼玉県内に(回収先の)住所のある日本リ・ファッション協会という一般社団法人が、衣類等の寄付を募っていることを知ったのだ。
しかもその衣類の使い道の中には、障がい者の福祉作業所での作品づくりにだったり、服飾系の専門学生さんがたのリメイクに使われたりがあるそうで。
障がい者支援の仕事を経験し、高校時代にはKERAを読んで「バンタン、かっこいいなあ」なんてほんのり憧れを抱いていた私には、なんだかとてもしっくりくる寄付先がやっと見つかってくれたのだ。

なので今回頂いたサポートは、日本リ・ファッション協会への衣類の送料として使わせていただきました。
(サポートは1000円頂いていて、送料は1010円。ご縁を感じる一致となりました。)
改めまして、サポートを本当にありがとうございました。

実際寄付したものは衣類だし、これならば「使途不明金」になる心配もない。
そして心を重くしていた母からのコートも「捨てる」ことなく「生かして」もらうことができる。

なんだかすごくほっとした。

そして今も、

仕事もやっとひと段落して、でも疲労からストレスも物凄く溜っていて、家事をしながら大泣きしたりしつつ、私はまだまだ掃除というか片付けを続けている。

ふと「心の中もそろそろ整頓しないと、」と思い、寝る時間をちょっと削ることにして、今夜はnoteに向き合ってみた。
改めて寄付のご報告もできたし、寝る時間代わりの安寧は得られた気がする。

片付けを続けていて、やはり来年は絵を描こう、そう改めて思った。
勿論音楽も頑張る。頑張るけれど、自分の表現方法を音楽に限定せずに、絵も描き、たまにこうして文章も書いていきたい。

ほんとはなんかもうちょっと書きたかったけれど、間に合えば年末、また改めて書くことにしよう。
今夜はとりあえずここまで。
読んでくれてありがとうございました。おやすみなさい。


頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。