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お金と「親の影響」を考察して向き合うこと

どうしても貯金ができないことについて、今までと視点を変えて考察してみようと思った。
だって、何をやったってうまくいかないんだもの。

そんな私が取り組もうと決めたのが「親の(俗に言う愛着障害による)影響」があるのではないか、という疑問からの考察だ。

いい加減にお金に振り回される生活をやめたいと考えて久しいけれど、世に溢れた本だったり、ライターの人もしくはFPの人などが書き残している文章をどれだけ読んでみても、結局のところ自分の実践にまで結びつかないものが多い。
それはなぜか―彼らの置かれている環境が、私の生活および心の環境とは大きくかけ離れているからだ。

そこに気づけたのは、私が所謂毒親である母とほぼ縁を切って数年経ち、仕事を増やして収入も多くし、とはいえお金は貯まらずとも、自らの心の状況についての客観視みたいなものが、わずかながらもできるようになってきたからだと思う。

たとえば両親の仲が良くて(少なくともふつうの夫婦仲で)、塾に通って進学校に合格した以上は大学さきへの資金も全部とは言わずともそこそこ用意してもらえる—みたいな環境で育った人と、そうでなかった私とのお金に対してならびに人への考え方というものは、違って当然なのだ。

こう言ってしまっても過言ではないと思う。
世に溢れているアドバイスの大半は、心の環境が整っている人向けのアドバイスだ。
だから真に受けてもうまくいかない人は当然いる。

私の実家は、幼少期はそれなりに裕福だった。
恐らくは学歴に劣等感を持つ母が、私に習い事をたんまりとさせ、小学校時代から「高校は〇〇高校に行くのよ」と決め込み、イルカの調教師になりたかったところを薬剤師になりなさいと夢を上書きさせた。
ところがだんだんと、特に父の死後ともなると、我が家は貧困家庭に変わってゆく。
複雑な事情で父の葬儀にも出られなかった私の心は当然歪み、件の進学校に入学できても結局、勉強にはまったくついて行けなくなった。
そもそも我が家には進学の為の資金がロクに無い。
奨学金を借りても、進学先での一人暮らしの生活費は自分で稼がなくてはいけない。
考えた末に夜学に進み、生活に疲れていよいよもって心が壊れて、退学して実家に帰らざるを得なくなって、家ではしじゅう母が「うちにはお金がない」「お彼岸でお寺に支払うお金を捻出する余裕がない」「うちにも余裕があればあんたにも〇〇してあげられたのにねえ」…なーんて言っているものの、そんな母はしょっちゅう飲んだくれて酔っ払っていたのだからどうしようもない。

他にも毒親エピソードはいろいろあるが、ここでは割愛。
ともかく振り返ってみると私の心は、母親に多くの問題があったことで、認知の歪みたるものが発生している。
なので脳に書きあげられた情報のデフォルトが「私にはお金がない」だ。
当然なのだ、実家にいる間母がアファメーションのごとく「お金がない」と言い聞かせていたのだから。

後は、父がお金にだいぶ苦労していたこと(会社の経営で)、そして父がお金のことでたくさんの人に迷惑をかけ、時に文句を言われていたこと—なんかを、やはり母が逐一幼い私にまで伝えていたことで「お金は悪いもの」とか「お金は怖いもの」「お金は私の生活を壊すもの」、みたいな観念が私の中に根付いてしまっているのだとも思う。

他にも、うちの母は「女は男に寄生してお金を得るべき」みたいな完全たる依存体質の持ち主だったので、私の中にも「女はお金を稼ぐべきではない」的な観念が無意識下に在ったのだろう。

父とはずっと別居生活だったので、我が家での王様は間違いなく母だった。
母の専制君主制において、私が常識だと思ってきたことの多くは「母の思い込み」であって、巨乳の女はバカだとか月経中の下着は数日洗わなくていいだとか、なんだかもうどうしようもない間違いを、私は母に植え付けられて育ったのだ。

以上のことを踏まえて、私は改めてアダルトチルドレンとして生きてきてしまった自分と向き合い、その価値観を徐々にでも変えてゆく必要があると確信した。

このデフォルト状態が違うからこそ、様々な提案が響かない人たちがいるのだろう。
たとえばお料理において「オーブンの予熱を何℃にして…」という指示は、オーブンを持っている人にしか使えない。
オーブンを持っていないからフライパンで焼かねばという人には、別の知恵が必要となる。
先程した喩えだと「両親の仲が良くて(少なくともふつうの夫婦仲で)、塾に通って進学校に合格した以上は大学さきへの資金も全部とは言わずともそこそこ用意してもらえる」=「オーブンを持っている」人、
「そうでなかった私」=「フライパンしかない」人、だ。
私にはフライパンしかないから、フライパンでそれを焼く知恵=アダルトチルドレンの自分をどうにかしていく術、が要る。
一丁前にお金を貯めてたとえば運用とかをしていく為には、まず「お金を持ってはいけない自分」という設定を外すことから始めるべきなのだ。

どことなくスピリチュアル系っぽく聞こえるけれど、これはそういったものの考え方とは違う。
実際、私もいくつか本などを読んで自分なりに向き合い始めてみたものの、けっこうしんどい。
なんというか、そんなに生易しいものではない。
だって変わらなければいけないのは自分なのだ—親に問題があったからだとどれだけ理解していても。
考え方のクセみたいなものは、そう簡単には抜けない。
こういうのはプロ(のカウンセラーさんとか?)にお願いして向き合うのも有効だとは思うけれど、いかんせんそこまでのお金の余裕がない人が大半だろうから、私のようにKindle Unlimitedで良さそうな本を見つけて、重要そうな言葉を抜き出して手帳にペンで書き写して―みたいなことの繰り返しが、とても大切になってくると思うのだ。

長い闘いになりそうだけれど、このチャンスを逃したら私はずっとお金を嫌っていきてゆく気がする。
なので今回のこの気づきを絶対にムダにはしないぞ!と決意して、今後も自分と向き合っていこうと思っている。


☆この件で私が参考にさせていただいた本や動画☆


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