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私には、スープの冷めない距離にカレーが用意されていない

エビフライを揚げたとて、背わたも取り忘れていたような私の母は、たぶん料理が苦手だった。どうしてか揚げ物だけはよく作っていたけれど。

そのくせ、人の作ったものを食べられない潔癖症で(レストランとかは大丈夫という謎)、娘である私の作ったものすら拒否する。だもんで私は、母に料理を振る舞った記憶がほとんどない。母の具合が悪かった時に、チューブのにんにくを入れた味噌汁(「みかん絵日記」という漫画でにんにく入り味噌汁が出てきたのだ、)を飲ませた記憶くらいはある。

そんな母の料理で、誰に食べさせても必ず「美味しい」というメニューがあった。カレーライスだ。

ルーは甘口。それに、砂糖とケチャップとソース(我が家はだいたい中濃)をほんの少し入れる。母のそんな甘ーいカレーは、我が家に遊びに来て夕飯を食べていく人みんなに好評だった。

じゃがいもやにんじん、たまねぎがゴロゴロ入っていた。肉は豚一択、チキンカレーはありえなかった。

私はそのカレーで育った。そして、そのレシピを覚えて、一人で暮らすようになっても、その甘いカレーを作り続けた。

誰かが一人暮らしのアパートに遊びに来たら、とりあえずその「誰に出しても間違いないカレー」を振る舞った。誰もがそれを「美味しい」と言って食べてくれた。とっくに疎遠になってしまった昔の親友も、私の、というか私の母の味のカレーを、すごく愛してくれていた。

そして、時が経った。

実家のある北海道を離れて、今となっては「ああ、毒親だったのね、」な母親とも距離を置きつつ、たまに電話をする程度に過ごしている私は、結婚して、辛いものを好む夫の舌に料理の塩梅を合わせるようになった。

つまりあの、私の母の味である甘ーいカレーは、ずいぶんともうご無沙汰な一品になってしまったのだ。

まだ結婚前のことだった。辛党の夫にあの甘いカレーを振る舞った時、私は生まれて初めて、母のレシピのカレーに難色を示す人と出会ったのだ。「もっと辛いのがいい、」という彼に合わせ、私のカレーは辛口になり、勿論砂糖もケチャップもソースも入れなくなったし、母のカレーには入っていなかったピーマンやひき肉が、その代わりに投入されるようになった。

なんとなく「ああ、料理ってこうやって人に合わせて変わっていくものなのだな」、そう思った。

私の舌はなかなか辛いカレーに慣れず、今でも私は、チーズをトッピングしたりしながら、ヒーヒー言いつつ「私のカレー」を食べている。

母のカレーではなく、私のカレー。

もう我が家のカレーに砂糖やケチャップやソースが投入されることは、よほどのことが無い限り、きっとありえないのだろう。

それでもふと、母のあの甘いカレーを食べたくなることがある。

けれども、自分の為だけにカレーを作るというのはもう、主婦にとってはひたすらに億劫なことでしかない。

もしも私のそばに—そう、よく言われている「スープの冷めない距離」で暮らせる関係性の母親がいたならば、私はきっと母に、母の味のカレーをねだることだろう。

でも、私にはあたたかいままのスープを一緒に味わえる距離の母親は、いないのだ。

私は、私のカレーを食べ続ける。砂糖もケチャップもソースも入っていない、辛口の、ピーマンやひき肉の入っているカレーこそが、今の私に与えられたカレーなのだから。






#我が家の秘伝レシピ

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