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人の性は悪なり—「共犯捜査」を読んで

先日、財布(にしていたポーチ)を落とした。

あっ、と気づいてから心当たりのある場所へ戻ってみたら、みごとにからっぽにされたポーチだけが残されていた。

ほぼ同じ場所で、数年前にも同じ目に遭ったことがある。駅が近く、正直、あまり治安のよろしくない場所だ。数年前の時も、現金や金券の類をすべて抜かれた。当時はまだスーパーなんかでサインせずに使うことができなかった、つまり「使えない」クレカなんかだけがご丁寧に残されたままの私の財布が、交番に届けられていた—そういった顛末だった。

私は不注意がすぎるところがあって、だもんで「何かを落とす」ことにはものすごく気を付けていた—つもりだった。それでも、どうしてそんなことになったのか意味不明なレベルで物を失くす。これは、まずそんなことの無い人には一生わからない感覚であって、逆に「わかる」人にはきっとわかることなのだろう、そう思う。

それにしても、自分は—遠い昔、すすきのの繁華街を歩いていて十万円の入った財布を拾った時にも、何の迷いもなく交番に届けたというのに(ああいう場所なのでキャッシュでその日の給料を貰って財布に入れる人も少なくはなかったのだろう)。

人の財布からお金を抜いて、何の躊躇いも無く使える人の気持ちが、私にはどうしてもわからない。

ところで、私はお客さんから堂場瞬一氏の本を数冊借りている。返すのはいつでもいいと言われているものの、月に一度お会いする機会に合わせて一冊ずつお返しできるよう、毎月少しずつ読み進めているのだ。

そして今月ちょうど読み終えたのが「共犯捜査」だった。

シリーズものの警察小説だ。最初の話でほぼほぼ脇役だった皆川という刑事が、この「共犯捜査」では主人公になっている。その、最初の話で主人公だった神谷という刑事が、なんというか私の苦手なタイプの男性だったので—というかこの作家さん、どれだけ「凛とした、男に媚びない系女子」が好きなんだろう、と申し訳ないけれども辟易するほどだった…笑—今回の皆川刑事の「普通っぽさ」が、私にはとても読みやすかった。にしても、十歳下の嫁さんをもらってそこに幼さを感じている皆川刑事よ、十歳程度じゃあさして精神年齢変わらんぞ、男女というものは。

そんなこの「共犯捜査」のラストの方で、皆川刑事がちょっと見下していた同僚刑事が、ふいに口にする台詞がある。

その趣旨というのが「人の性は悪なり」という、性悪説っぽい内容だったのだ。

この小説の他のどの部分よりも、私にとってはそこが、とにかく強烈に心に衝撃を与えたシーンだった。

「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」—『荀子』性悪篇より

荀子のいうところの「悪」とは警察の表現する「ワル」ではなく「人の弱さ」であるらしいが、人は弱いからこそ悪事に手を染める、というのも少なからずあるだろう、というのが私の解釈だ。

人の中には「悪」がある—と、皆川刑事が蔑んでいた同僚刑事は「割り切って」いた。この同僚刑事の言うところの「悪」は「ワル」なんだけれど、どっちにしたって同僚刑事は性悪説を持論にしているに違いないと感じた。

財布を落としたのは私の失態にしても、私は長らく性善説に基づいて生きて来てしまったのだろう。だから心のどこかで人の「善」に期待していた。ゆえに、からっぽにされた財布を見、絶望し、怒りが沸いた。

そんな煮えたぎる気持ちの中、ふと、あの同僚刑事のことが心に浮かんだ。—ああ、人には「悪」が備わっているのだった、と思い起こし、そこですとんと何かが腑に落ちた。

人は弱い。だから、他人に対して酷いことをしたりもする。いじめだってそうだ、自分が弱いことを隠す為に、強いふりをする為に、れそうな人をる。その「や」にはいろんな当て字がはまる。強姦に値するものもあるし、殺す、だったりもする。

そこに陥らないことが「強さ」なのだろう。強ければ、強い「ふり」なんてしなくて済むのだから。

ならば私は、もしかするとちょっとは強い方の人間なのかも知れない。



ちなみにこのシリーズ、「凍結捜査」が個人的に好きです。北海道のいろんな場所がたくさん出てくるのが楽しい…!

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