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敬遠していたはずの、ひろゆき氏の言葉に救われた

ひろゆき氏のことは、正直ちょっと苦手に感じていた。
小学生とかが真似っ子してどうとか、そういった話をよく耳にしていたからだ。

私自身は彼の動画を見るとかそういった習慣はなく、あくまでネットニュース上で動向を風の噂に聞く程度だった。
でも仮に自分に子どもがいてとか、前の職場(学童)の子どもに「それってあなたの…」みたいな返しをされたら、心穏やかに応えられる自信が私には無かった。

でも今日、こんなネットニュースを見た。

ひろゆき氏は上記の記事の中で、たとえいわゆるFラン大学を卒業していても、その人がもしも偏差値の高い中学校や高校を卒業していたならば、そこに評価を与える—といった趣旨の発言をされているのだ。

このことに私は、いきなし胸の中にすーっと穏やかな風を通してもらった様な心地になった。
何故なら私は「いい高校に行く為に」、幼い頃から習い事ばかりさせられて、あまり自由のない毎日を送った経験を持っていたからだ。

「小学三年になったらそろばんね」と、母に決められていた。
それはしっかりと遂行された。週のうち三日をそろばん塾に費やし、火曜日は書道教室、水曜日はピアノ(これは自らやりたがったので後悔はない)、土曜日は英会話、日曜日の朝は教会学校(これも嫌ではなかった…ちなみに、通っていた幼稚園関連のプロテスタント系のキリスト教)…という一週間を数年の間送っていた。

ピアノを辞めたり、「二級まで取ったら辞めていいよ(と言いつつ一級まで取らされた)」という母からの要求を満たしてそろばん塾を無事卒業した後は、その空いたコマが学習塾へと変化した。
中学になると、自ら望んだとはいえ体育会系のきつさを持つ吹奏楽部に入部した。そして、週二ほどのペースで学習塾に通う日々。教会学校は小学校と同じタイミングで自主卒業した。

成績は、体育以外はどうにか良かった。つまりは母の望みどおりだったのだ。
地区では一番偏差値の高い高校を、当然の如く志望した。
志望校を第三志望まで記載する紙に、第二志望にはいわゆる滑りどめの高校を、第三志望に「本当は憧れていた」学校の名前を書いた。
けれども「これって冗談でしょ?」みたいな反応を担任にされて、まったくもって取り合ってはもらえなかった。
私は周囲の期待どおりに、望まれたとおりの高校に合格してみせた。

しかし、私は高校に入ってから躓いた。
今考えると、入試前に父を亡くしたこととか、母が不倫相手を家に連れて来ていたこととか、クラスに馴染めなかったこととか、いろんな理由から心を病んでしまって、それまでみたいに脳がはたらかなくなってしまっていたことは察しが付く。
とにかく、勉強が全然できなくなってしまったのだ。
国語は得意だったから、現代文でも古文でも漢文でも、どうにかすることができた。けれどもそれ以外は—特に数学なんかは毎回赤点で、2点とかそんなひどい点を取ったこともある。

とはいえ私もどうにか卒業はできたけれど、周囲には難関大に合格する人も多かった。
偏差値とかそういったことで測るならば、浪人せずに京都大に行った同級生が一人いたことも記憶している。
私の滑り込んだ先は、とある私立大の二部、つまり夜間部。
学びたい者に広く門戸を開いた場所だったから合格できたものの、そこすらも私は満足に通うメンタルが保てず、入った年の夏には退学してしまったのだ。

正直、ずっと自分の学歴にコンプレックスがあったことは否めない。

あんなに頑張ってきたのにドロップアウトしてしまった自分を支えるのは、その代わり芸事でどうにか身を立ててやるという野心だった。
時には死のうと試みたりもしながらもなんとか30数年生きてきて、ありがたいことにテレビのCMに出るなんて大きなお仕事もいただけた。
しかしそのCMも放送期間が終了してしまって、早くまた違う「結果」を出さなければ—と、心は焦ってばかりいた。

そんな私のところにひらり、とやって来たのが、ひろゆき氏の言葉だったのだ。

それは私にとって「あれだけずっと頑張ってきたことはムダではないのだよ」という、力強い肯定の言葉に感じられた。

半ば「自分だけ」ドロップアウトした感があった私だけれど、ひろゆき氏の中では少なくとも、目を通してもらえる程度の学歴には値する—のかな、多分。
言ってしまえば「ただそれだけのこと」だ。
でも「ただそれだけのこと」でも、私は素直に嬉しかった。
勉強や習い事に費やしてばかりだった私の幼い日の頑張りにやっと、正当な評価を与えられた気がしたのだ。

それと同時に「苦手だからといってまったく話を聞こうとしないというのは、もったいないことなんだな」とも学んだ。
その人の一部分だけを見て判断してしまっては、その人の素敵な部分に気づけずに終わってしまう。
だからこれからはできるだけ、いろんな人のいろんな部分に目をやる様にしたい。

ありがとう、ひろゆき氏。
私の中の幼い私が、泣くのをやめて嬉しそうに微笑んだ気がする。


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