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エミリーという名の眠り姫

入院中は絶対に暇になると確信していたので、文庫本なんかの本を、何冊か持っていくと決めていた。

とはいえ、新たに買うのもなー本屋さんやブックオフに行くのも、この梅雨三昧のなか免許の無い私には億劫で、だから我が家に元からあった本ばかりを、フェールラーベンの薄汚れたピンクのカンケンに詰めて、病院へ持って行った。

今日はその中の一冊「エミリー」についてお話したいと思う。

この、元々は単行本として刊行された作品に出会ったのは、まだ私の感受性が毬栗みたいにとげとげしかった高校時代のことだ。

嶽本野ばらの作品に、私は心酔していた。古本屋通いは趣味のひとつだったので、そういう所で運良く彼の作品に出逢うと、しめしめと買い迎えていた。高校の図書室には彼の「鱗姫」も置いてあった。高校は好きではなかったけれど、「鱗姫」を入荷させた誰かさんのことは好きだと思った。そんな図書委員がいったい誰だったのかは、当時も今もまったくわからないままだ。

「エミリー」には三つの話が収録されている。それらはやや、当時の私には刺激の強いものだった。一番初めに載っていたデュシャンとマチスが出てくる美術館のお話くらいだろうか、所謂、性についての描写が露わでないものは。男子と話すのが苦手、未だに人の目を見て話すことに、特に男の人の目を見て話すことに抵抗があって仕方のない私には、ほんのちょっと艶めいた表現にすら、嵐の夜に胸がざわつく時みたいな、居心地悪い刺激を与えるのだった。

自分には、女としての魅力がないものなのだと思わないと、とてもやっていけなかった。私は、私から見ても美男美女では無い、寧ろ今なら「お前の方がよっぽど残念なお顔のつくりでしょうに」と言い返してやれそうな相手にすら、不細工だと罵られた。それは呪いだった。人と目を合わせると、きっと私の容姿を蔑む視線を送られるに違いない…と疑ってしまう、そういう類の呪いを私にかけたのだ。

だから高校生の私にとって「エミリー」の世界はあくまでも、どこまでも架空の世界だった。元々フィクションであるとて、ますます私の世界線には存在しない物語として、私の心を酔わせるのだった。それはいにしえの少女たちがベルバラに憧れたみたいに、私を虜にした。それでも私は、自分が「エミリー」の世界には生きられない人間だと、決めつけていた。

しばらく「エミリー」の分厚い単行本を閉じていた。次に私が「エミリー」を開いたのは、大学に入学してからだった。

その時には既に、私とつるんでいた非モテ組の友達たちですら、女として花を開かせていた。高校三年間、誰かに恋心なんていっさい持ち合わせていなかったはずの友人が、その夏までに二人目の彼氏を迎えていた。

私はといえば、やっと、こんな私を好きだという酔狂な男性に出会っていた。バイト先の人だ、歳はほんのちょっと上だった気がするけれど、正直よく覚えていない。私は、こんな私である癖に選り好みをしたのだ。私にとって、私に好意を持ち合わせる男性は、王子様であるべきだった。醜い私と一緒に歩いても人に嘲笑されない程の美形(、それも私好みの)でなければいけない。醜い者同士が肩を寄せ合えば、他人は遠慮なしに嘲笑を浴びせかけてくるのだもの。だから私は「どうせ私は誰にも好かれないから」と、理想だけは大きく描いていた。

件のバイト先の人は、私の理想からは外れていた。だから私は、好かれたからといって、良き同僚以上の好意を返す気にはならなかった。自分で思い返しても酷い奴だと思うけれど、「誰でもいい」に至るのだけは、今でも絶対に良くないと思っている。だからまあきっと、その時の私の判断は間違ってはいなかっただろう。

そうしてやっと、私は「エミリー」の世界にほんのちょっとだけ現実味を感じ始めた。それでもまだ、登場人物たちの心理描写に、なかなか理解が届かなかった。どうしてそんな風になっちゃうの、と歯がゆさすら感じた。もっと奇天烈に、もっとぞんざいになってしまえばいいのに、と、登場人物の代わりに自暴自棄な気持ちを抱いた。十九歳になる私にはまだ、恋とか愛とかそういうものの複雑さや深さというのは、あまりに遠い存在だった。

その、十九歳になる僅かな一年間が、私にとっては今も、とても重くて濃厚な記憶となったのだ。いろんなことがあった。精神がゆっくりと壊れた。入ったばかりの大学も辞めた。札幌での一人暮らしを諦め、地元に帰らねばならなくなった。それは私にとって悔しくて仕方のないものだった。私は、札幌にもっと居たかった。けれども当時の私にはもう、一人で暮らしていける余力は残っていなかったのだ。

だから私は長年「エミリー」を開くことを躊躇してきた。「エミリー」には、あの頃の私の記憶がめいっぱい詰まっている。「エミリー」を読み返すことで、痛々しい記憶を蘇らすことが恐ろしかった。

けれども私は、単行本はとっくに手離していたというのに、古本屋で見つけた文庫の「エミリー」には、当たり前の様に手を伸ばしてしまった。棄教した信徒が、それでも小さなバイブルを手元に置いておきたいと思う心理、とでも喩えたらいいだろうか。

そのままそっと、私は文庫本を部屋のどこかしらで眠らせておいた。「エミリー」は、紡錘が刺さって目を閉じた眠り姫みたいに、「開きたくない」という私の心の茨に絡まれて、深く深く眠ってしまっていたのだ。

そんな「エミリー」が目を覚ますきっかけとなったのが、今回の入院だった。丁度私は、少しずつ過去の自分と向き合っていたところだった。犯人である母親もやはり虐待を受けた過去を持つという、ちょっと前に起きた、幼い女の子の餓死事件。そういう事柄もまた、私の過去と向き合う気持ちに拍車をかけた。

過去を置き去りにしてはならないと、強く思った。その中にきっと、私が生きづらさを持ち合わせる根本の理由があって、それと手を繋げた時やっと、私は自分を傷つける生き方を辞められる、と思った。

病室の簡易的なベッドで寝転がって読んだ、目を覚ました「エミリー」には、昔の私の心には響かなかった様な描写が、たくさん綴られていた。あんなに理解できなかった登場人物の心境に、穏やかな共感を抱いた。文字を辿りながら、物語の情景とはまた別に浮かんでくる私の過去の記憶に、私は静かに心を傾けた。私はただ必死に生きていただけで、人から見たらどれだけ愚かな生き方に見えていたとしても、それでも私は、自分の精一杯を尽くして生きてきたのだと、そんな風に感じた。

眠っていたのは「エミリー」だけでは無かった。昔の鮮やかな私もまた、私の記憶の凄く深い深い場所に、眠らされていた。目を覚ました昔の私は、札幌の片隅で、幸せな瞬間を何度も何度も回想していた。真夜中のびっくりドンキーや、晴れた日の元町公園。それに、明け方のテレビ塔。空気は澄んで煌めき、時計台の鐘の音が、やわらかく辺りに響き渡る。そういうもののすべてを私は愛していて、本当は、忘れたくなんかなかった。

なのに忘れようとしていたのは、自分への罪悪感かも知れない。私は私を決めつけていた。不細工だと罵った同級生の様に、私自身さえも、私に呪いをかけていた。私は幸せになんてなれないよ、と、本当は幸せになりたい癖に、呪っていた。呪った本人がそれに罪悪感を持って、苦しんでいた。

ところで、表題作となった作品「エミリー」には、堀口大學の訳したランボーの詩が登場する。堀口さんのは青空文庫にも無かったっぽいので引用は避けておくけれど、その詩の中に「番(つが)った」という言葉が現れる。

番う」、それは二つのものが一つになるという意味。

私はやっと、過去の私の手を取ったところだろう。まだまだ私は私と番っちゃあいない。けれどもいつか、過去とひとつになることができたなら、私はその時やっと、過去の私に微笑んでもらえるかも知れない。


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