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茱萸の木は、今も。

子どもの頃、アパートの階段の横に茱萸(ぐみ)の木があった。

長くそのアパートに住んでいた母が、勝手に植えたものだったと思う。幼い私はなんとなく美味しそうに見えなくって、その実がいくらぽこぽこと赤く実ったとしても、一度も口にしたことはなかった。

それでも、角部屋だった我が家を出て階段を降りれば、そこに茱萸が生えているというのがなんだか安らかだった。茱萸はとてもかわいらしい存在で、私は外遊びをしながら、ときどき茱萸の様子を見に行ったものだ。

一階に住んでいた同い年の友達は、小学校入学と同時に小樽へ引っ越していった。お父さんが小樽で寿司職人として働いていたご一家だったから、生活はきっとうんと便利になったはずだ。

やがて、アパートのとなりにドラッグストアが建つことになった。

茱萸は工事の邪魔となり、あっという間に切られてしまった。茱萸が切られるというのは、工事が決まった時からとっくに知らされていたことだ。ただアパートを借りているだけの私たちにはそれを拒否する権利もなく、それをわかっていても私は、茱萸が切られることを悲しんだ。そして切られてしまった茱萸の跡地について、まるで事故現場みたいに目を背けて過ごした。

そうして立派なドラッグストアが建った。すぐそばには大きなスーパーもあって、さして駅近とも言えないウチの近所ばかりが、どうしてこうも開発されてゆくのか、幼い私にすら疑問だった。

茱萸のざらざらとした表面を、今でも思い出せる。

うっすらと、茱萸との別れに大泣きした私の記憶がある。母が勝手に植えた木であって、それを切られたとて文句は言えないといくらわかっていても、私は、物心ついた時からあすこに生えていたあの茱萸のことが好きだった。

ただの古ぼけた小さなアパートだったけれど、茱萸があることがなんとなく、私に「ここが私のおうち」という実感を持たせていた。冬には雪に埋もれて隠れてしまう茱萸と、春先の雪解けと共に再会できることもやっぱり嬉しかった。どうしてお菓子と同じ「グミ」という名前なのか、もしかするとお菓子のグミもこうやって木に実るのか、私は不思議に思いながら、茱萸を愛しんで育ったのだ。

もう、あのアパートもとっくに無くなってしまったという。

小樽に引っ越した友達は自衛隊の人と結婚して、その時に結婚式に呼ばれたものの、二十年近くほぼ疎遠だったのにわざわざ飛行機代を捻出して結婚式に行くのも馬鹿らしく思え、お祝いに鯛の石鹸を贈ることで勘弁してもらった。

茱萸の花言葉のひとつが「心の純潔」だという。

時折ぐちゃぐちゃにかきむしられるこの心だけれど、幼い日に茱萸を愛していたかわいらしい自分のことは、忘れないでいてあげたい、そう思う。

切られてしまったその日まで私を見守ってきてくれたあの茱萸とて、きっとそう、思ってくれていることだろう。

消えてしまう。消えてしまうけれど、忘れないということがきっと、すべての存在の証拠となる。

だから茱萸は、あの日確かに切られてしまったけれど、いつも、いつまでも、私の中にそっと佇んで、赤い実を揺らして待っていてくれるのだ。

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