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未解決事件簿23:マスコミへのアポなし訪問2回目、週刊朝日、フジテレビ本社、WILL、サンデー毎日2回目

マスコミへのアポなし訪問第2弾。週刊朝日、フジテレビ本社、WILL、サンデー毎日2回目。特にフジテレビ本社での出来事は僕を絶望に陥れました。今回はその話をしたいと思います。
 
前回は新潮社、文芸春秋社、小学館(週刊ポスト)、毎日新聞、サンデー毎日の5カ所を訪問した際の出来事についてお話ししました。新潮社、文芸春秋社、小学館は記者不在のためアポイントを取って出直して下さい、と門前払いされたことはお話しした通りです。毎日新聞社会部H記者には露骨に嫌な顔をされて追い払われてしまいました。サンデー毎日のS記者は話を聞いてくれて、今後も連絡を取り合うことになり、ここに次の望みをつなぐことにしました。
 
しかしその後、S記者からの連絡は全くありませんでした。X病院に連絡を遮断された可能性を一番に考えていましたが、それを確かめる目的も兼ねて、アポなし訪問2回目を決行することにしました。

アポなし訪問第2弾:2016年3月7日


アポなし訪問第1弾からちょうど2週間後のその日も、同じ方法で都内に出ました。目立たないようにマスクを着用して、玄関からではなく庭側の窓から外に出て雨戸を閉め、高い塀を飛び降りて最寄りの駅まで約30分、徒歩で向かいました。
 
この日は郵送での告発も並行して行うこととし、事件の概要をまとめた紙資料と、証拠資料、2次資料を電子化したデータを格納したUSBメモリを同封したものを数部用意して持っていきました。宛先は週刊新潮、新潮45、週刊文春、週刊ポスト(小学館)、スーパーJチャンネル(テレビ朝日)、週刊現代(講談社)などでした。これらを、東京都内のメディア・報道機関に移動する間に、郵便ポストに順次入れていきました。僕に尾行がいなければ、この封筒は然るべきメディアに無事到着したはずです。
 

①週刊朝日:記者不在

1カ所目の「週刊朝日(朝日新聞社内)」築地方面、国立がんセンター病院と大通りを挟んで向かい側に位置しており、尾行がいた場合、目的の場所に直接向かうと察知され先回りされるリスクが高いと考え、国立がんセンター病院でタクシーを降りて、そこから歩いて向かいました。尾行がいた場合、これで尾行をまける可能性は極めて低いと思いますが、少しでも成功する可能性が上がる方法を採ろうと、僕は必死でした。
 
受付で「実は是非取り上げていただきたい、ものすごい大事件がありまして、週刊朝日さんで取材していただけたらと思いまして、アポイントなしでお伺いしました。連絡が取れない事情がありまして、このような形でお伺いすることになり、大変申し訳ありません」と頭を下げました。「記者が出社するのは12時過ぎになると思いますので、その頃に電話して下さい」と言われ、電話番号を書いた紙を渡されました。
 
しかし記者に電話をかければX病院に捕捉されてしまう可能性が高いと考えられ、また記者が出社する時間まで待ち続けると、この日の予定が大幅に狂ってしまうため、ここは断念せざるを得ませんでした。

②フジテレビ:受付までたどりつけず

次もタクシーで、お台場のフジテレビ本社に行くことにしました。天気がよければレインボーブリッジからの眺めの良い素晴らしいスポットですが、あいにくこの日は雨が降っていました。フジテレビ本社前には大きな広場があり、その広場から本社の建物に入りました。

入口を入ると、非常に広いロビーがあり、右奥に受付がありました。そしてその前に体格の良い警備員が数人立ちはだかっていました。僕は気にせず受付に進もうとすると、その警備員の1人に呼び止められ、用件を聞かれました。僕は正直に言いました。「実は調査・取材をお願いしたい医療事故・大事件がありまして、話を聞いていただければと思いまして」と伝えました。するとその警備員は自分専用の小型マイクで、誰かとやり取りを始めました。「それでは社の者を呼んできますので、こちらにかけてお待ちください」と、入口を入ってすぐ左手前にある小さいテーブルと椅子をすすめられました。
 
しばらくして1人のワイシャツを来たやや背の高いやせた男性が現れました。僕は事件の概要について資料を提示しながら説明を始めました。すると先程とは別の警備員が近づいてきて、身を乗り出して話を聞いていました。それが僕にはどうしても野次馬のようにしか見えず、腹立たしくなってきましたが、気にしていない様子を装いました。
 
概要についてある程度説明を進めると、ワイシャツの男性は「これを取材するかどうかは私の一存では決められないので、上司に相談してきます」と言い残して、ロビーの左奥の通路に消えました。僕はこの展開を、「事件の重大性を理解してもらえて上司の判断を仰ぐ段階になったのだろう」と楽観的に考えていました。
 
しばらくしてワイシャツの男性が左側奥の通路からこちらに戻ってきました。
「実は私は総務の者でして、現時点では判断できないです。資料はお預かりできませんが、一応、こういう方がいらっしゃったと報告だけはしておきたいと思いますので、お名前と連絡先だけ控えさせて下さい」と言って、僕が持参した資料に記載してある住所、氏名、電話番号を書き写していました。僕は「この資料だけでも受け取って下さい。もし調査・取材をしていただけるのであれば、ご連絡をお願いします」と言って、手元の資料を渡しましたが、この人は受け取りを拒否しました。
このワイシャツの男性の反応からは、調査・取材してもらえる可能性は全く期待できませんでした。
 
入口を出て、冷たい雨に濡れながら広場を通り、タクシーを拾いました。
そのタクシーの運転手の声は、父が死亡した日、僕たちの目の前に現れた「警察官」に似ていました。
 
このフジテレビ本社訪問の記憶は事件告発活動において、最も忌まわしい記憶として残ることになりました。というのも、数人の警備員とワイシャツの男性の連係プレーの前に、僕は受付にすらたどり着けなかったからです。僕の行き先が既にキャッチされており、先手を打たれてしまったのは、この状況からは明らかでした。
 
タクシーに乗ってレインボーブリッジを戻る間、憂鬱な雨の景色を見ながら、「この国は、なんて暗い国なのだろう」と茫然自失だったのを昨日のことのように覚えています。

③WILL:記者不在

次はWILLに向かいました。飯田橋駅の正面から左側に伸びる人通りの少ない通りを歩き、その通りに面したテナントビルのワンフロアにオフィスがありました。その出入口から入ろうとしたときに社員と思しき男性が通りかかったので、その男性に「是非、取材していただきたい大事件がありまして、話を聞いていただきたいのですが」とお願いすると、「あいにく今、記者は全員出払ってしまっているので、今は難しいです」という返答でした。ここも改めて出直すと、その間にX病院に行き先をとらえられてしまう可能性が高く、かといって待ち続けても記者がいつ戻るかも分からず、この後の計画が狂ってしまうため、断念せざるを得ませんでした。

④サンデー毎日:2回目

飯田橋駅前からタクシーを拾い、九段下まで短い初乗り程度の距離を移動して降りて、そこからサンデー毎日のオフィスのある千代田会館まで歩きました。

ここがこの日一番の目的でした。この大事件について、サンデー毎日のS記者に詳しく話を聞いてもらってから2週間が経過していました。メールや電話で連絡を取ると病院側に傍受されてしまう可能性が高いと考えられたため、S記者と連絡が取れなかったのですが、きっとこの2週間で大きく進展しているだろうと想像していました。また、この大事件のあまりにも衝撃的な内容と大スクープ級の「飛び込み」に、社内は騒然としているだろうと想像すると、一刻も早くその状況を知りたくなってきました。

テナントビルのエレベーターに乗り、オフィスのあるフロアで降りて、正面のピッチでコールをかけると、事務所内から背の高い女性が出てきました。僕は「取材していただきたい大スクープ級の事件がありまして、先日、2週間前にこちらに伺って、Sさんに話を聞いていただいた者です。その後の進捗状況を確認するために伺いました」と説明しました。その背の高い女性は「あいにくSは席を外しておりまして対応できません。申し訳ありません」と言いました。僕は「この事件の進捗状況を確認したいのですが、Sさんからは何か聞いていますか?」と尋ねたところ「いえ、何も聞いておりません」とこの人は答えました。僕はがっかりして、「そうですか。ではまた出直します。ご連絡をお待ちしていますとSさんによろしくお伝え下さい」と言い残して、この場を後にしました。
 
一言でもこの話を聞けば皆が仰天するような大事件ですので、その大スクープの「飛び込み」から2週間が経過してもなお、社内にその話が全く広がっていないというのは、どう考えてもあり得ないことでした。この「大スクープ級の大事件」が世に出ることを、「見えない力」が阻止しているように思えて仕方ありませんでした。妙な胸騒ぎがして、得体の知れない激しい怒りの感情が沸々と湧き上がってきました。
 
サンデー毎日のオフィスのある千代田会館を出た瞬間、途方もない虚脱感に襲われ、そのままへたへたと座り込み、両腕と両ひざに顔をうずめました。するとどうしようもない絶望感が僕を激しく襲ってきて、そのまま声を上げて男泣きに泣きました。「こんなとんでもない大事件なのに、誰も相手にしてくれないなんて、あんまりじゃないか。こんなにつらくて悲しくて悔しくて理不尽な思いをしている人間がこれほど訴えているのに、誰も手を差し伸べてくれないなんて、みんな、なんていうひどい人間なんだよ。「この人がかわいそうだ」という情とか、「これは許せない」という正義感はないのかよ」と心の中で叫びました。
 
この日は移動中、都内の様々なポストに、調査・取材依頼の郵便物を国内マスコミ各社に向けて投函しました。週刊新潮、新潮45、週刊文春、週刊ポスト(小学館)、スーパーJチャンネル(テレビ朝日)、週刊現代(講談社)などでした。僕に尾行がなく強制的な没収がなければ、これらの郵便物は各社に届いていたはずです。しかし、これらの郵便物に対する反応は1社からもありませんでした。
 
このアポなし訪問2回目から2日後の3月9日に、サンデー毎日S記者からの手紙が届きましたが、その内容は全く期待外れのものであるばかりでなく、非常に怪しいものでした。

その後、S記者とのやり取りを続ける中、途中、郵便物が無断開封された痕跡があったり、郵便職員とS記者の筆跡が一致していたりと、何者かに操作されている状況が明らかとなってきたため、S記者とのやり取りは断念することにしました。詳しいことは、また改めてお話ししたいと思います。
 
このようにこの事件に関するやり取りは、違法な手段によって何者かに盗み見られていると考えて間違いない状況でした。「何者か」と書いていますが、この「何者か」はこの大事件が世に出ることを阻止することが目的ですから、X病院側の人間と考えてまず間違いありません。X病院はただの民間病院ですが、この状況からは、X病院のバックには通信や郵便の違法傍受を行う技術と権限を持つ強大な組織があるということが徐々に浮き彫りにされてきました。
 
この強大な組織に対抗するには、僕自身もそれ相応の対策を講じなければなりません。つまりこの強大な組織の極めて高度な監視技術から逃れ、現実・インターネット上で不可視になる方法について、これから途方もない量の知識と技術を身に付けていくことが必要になるということです。
 
次回はそのための具体的な知識と技術とそれを身に付ける過程についてお話しします。
 
追記①:最終目標は病院・医師の実名報道
僕の最終目標はこの事件を明るみに出して、この病院・医師の実名報道を実現することです。メディア関係者、記者、ジャーナリストの方でこの事件に興味があるという方がいらっしゃいましたら、是非、ご連絡いただきたいと思います。また知り合いにそのような方がいるという方は、是非、知らせていただければ誠に幸いです。 
 
追記②:「フォロー」と「スキ」のお願い
この事件に興味がある、この病院・医師が許せない、この病院はどこの病院なのか気になる、実名報道まで見届けたいと思われた方は是非、「スキ」と「フォロー」をよろしくお願い致します。

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