怒るのではなく叱るのだという価値観の押しつけ
テレビでは毎日のように子供の虐待のニュースが流れる。それを見るたびにかわいそうな子供に同情し虐待をした大人にも同情をする。人は何も人を傷つけることが好きなわけではない。ましてや自分の子供に手を上げることに快感を覚える親がどこにいようか。子供も親も被害者である場合があるのだ。
ニュースはまるでその事件ひとつが物事の本質のように話しているが、私はそうではないと思う。虐待はこの社会が生み出した親と子供の苦しさの姿である。
そんなニュースがたびたび流れる中、自分は子供に暴力を振るわないようにと戒めるように色々な文章を読んできた。特に多いのは怒るのではなく、叱るのだという言い方をしたものである。
叱ると怒るには子育てにおいて、そんなに違いがあるのだろうか。叱るという行動にもまるで、子供が必ずしも間違っている側のようなニュアンスが含まれているような気がする。
だけど、現実には親が子供を怒ったり叱ったりする時に必ずしも親の言い分が正しいとは限らないのではないか。
親は子供が間違えたことをしたから怒っているのではなく、自分の価値観と子供の価値観が合わずそれによって怒っているのではないか。
だとすれば叱るのではなく、怒る。人間の本質的な行動として間違いではないのではないか。
怒りという感情は人間がストレスをうまく発散するための感情なのであるから、それを無理くり押さえつけようという方がむしろ不自然だと気づかされた。怒りだけば怒ればいいのだ。ただし、本にはこのように記載があった。
これを読んで自分がいつもモヤモヤしていたことをきちんと言葉にしてくれたような、自分の心を代弁してくれたかのような書き方に思わずほっとする自分がいた。
怒ることは人間の正しい反応の1つなのだ。そう、思えるだけでも気持ちが楽になる。ただ、無抵抗な子供に暴力を振るったりそれを大人の言い分で正当化したりといったことに問題があるのだ。正直なところ、私は何度言っても聞いてくれない我が子に手が出てしまったことがある。それは自分の後悔につながるし、子供たちもそれを受けて幸せなわけがないというのは痛いほどわかっている。
そんな時には私は必ず手が出たのは自分が悪かった、ごめんね、と娘に言っている。すると娘も私ももっとこうしていればよかったね、と反省の言葉すら口にしてくれることがある。よく親子愛は無償の愛だと言われるが、子育てをしていると無償の愛を注いでくれているのは子供たちの方なのだと気づかされる。親はそれに答えるようにして、たくさんの愛情を注ぐことができるのだろう。
怒ることは何を悪い感情ではないのだ。親だって人間なのだ。共同生活者同士で怒ることがあっても当然、ただし手が出るのはもちろん悪いこいこと、それから子供達と気持ちを共有し、謝ることはこれからこれからも大切にしようと心に決めた。
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